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白米のような毎日を

この間銀座に行った時、「名探偵コナン」のオープニングなどで知られる倉木麻衣さんのデビュー25周年を記念した展示会がやっていた。

デビュー25周年ということは、当たり前だが歌を歌い続けて25年ということでもある。「歌う」という、同じことを繰り返してきたのだ。クリエイティブな世界に長らく身を置き活躍を続けるのはそれだけですごいことである。

翻って私たちの人生を考えてみると、同じことをただ機械のように繰り返すことに意味を感じなくなったり、飽きが来たりすることはよくある。
クリエイティブなものではなく頭を使う必要がないにも関わらず、だ(もしかしたら、頭を使う必要がないからこそ、というべきなのかもしれないが)。

この世界を生きている人の大半は凡人である(言うまでもなく私もだ)。それだけに、倉木さんのようにクリエイティブの世界において繰り返し続ける日常を歩むことはなかなかできない。
それでも日常は退屈と思えるほどの繰り返しに溢れている。その繰り返しにうんざりとしてやめたくなることもあるからこそ、一つの物事を継続できることには大きな意味がある。

この間娘が炊き立ての米を大層美味しそうに口に運ぶのを見て、ふと私たちの人生は白米を食べるかのごとき毎日が良いのだろうと直感した。

日本人であれば多くの人が、白米を毎日食べても飽きないし、なんなら食べるたびに「やっぱり美味い」などと感じてしまうものだ。
それと同様に、同じようなことを繰り返す日常を「やっぱり楽しい」とか「やっぱり嬉しい」とか「なんか幸せだ」などと感じられる感性を持てるのは、実はとても幸せなのではないか。
焼肉や天ぷらのようにヘビーで高級でもないからこそ、明日になればまた食べたくなるのが白米である。炊き立てのつややかな米よろしく、毎日が小さな希望とちょっと楽しみな日々に溢れればと願うばかりだ。

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