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転職物語⑫ ㋣退職をし、新しい会社へ入社する

最終出社日を終えて、有給が消化出来たり出来なかったりするが、これは一応労働者の権利として消化していいということになっているらしく、「消化します」と言うことは悪いことではないらしい。

私は幸い、その点について上司から全く関心を持たれていなかったので、「勝手にしてください」的なスタンスの上司へと有給申請を突きつけた。これで退職日から逆算して有給を消化し、最終出社日が決まったわけである。

で、最終出社日にはお世話になった人へお礼のメールを送る。「今まで世話になったな」的な内容である。同期とかにメールを送ると、内線とかを飛ばしてくる粋な同期とかもいたりして胸がギュッと締め付けられるような思いになるものである。「残念だ」「お前は優秀だった」などと適当な餞別の言葉を浴び続ける。

ただ、これを真に受けるのは本当のバカというもので、例えば訃報に際してその人の悪いことを言わないように、別れに際しても人はあまり悪いことを言わないものである。大概いなくなってから噂話が始まるものと踏んでいいだろう。女性陣は何かとこの経験があるのではないか。

敢えて、「自分が噂話をされているなんていうことは知らない」という選択肢を取るなら、別れは至上の美しさを誇る。

別れの周りにある言葉は、人を傷つけない大変に美しい言葉たちばかりである。こういう美を感覚するたびに、別れとはいいものだとそんなことを私は思ってしまう。

あまりにも詩的でロマンティシズムが先行する考え方ではあるが、こんな考え方の方が幸せと言えば幸せかもしれない。

知らぬが仏とはよく言ったものである。別れを汚辱するのは、本心が剥き出しになった現実なのだろうか。

そういえばフランスの哲学者のバタイユなんかは、女性が美しければ美しいほど汚辱の可能性が高いから美しい女性はモテる、的な主張をしていた記憶がある。要するに、汚すだけの「マチ」が大きいという事だ。

だから、「別れ」は美しい女性のようなもので、そうであるからこそ「本心が剥き出しになった現実」は男性として、その別れを如何に汚辱できるのかというところに力を注ぐのかもしれない。別れと本心の剥き出しになった現実は、つがいになった鳥たちのようなものなのだろうか―。

それはとにかく、そんな感じで退職に向けて日は重なっていく。海外に行ったり旅行をしたりしつつ有給を消化して、退職日を迎えたら、いよいよ、新しい会社に入ることになる。私も今現在は有給休暇中で旅行に行ったりと楽しんでいたりする、とそんなところだ。

これでようやく、転職は完遂される。長い長い過程が、こうして終わる。

実際、「転職したいなあ」と思ったのが2015年の10月、実際に転職が終わったのが2017年の4月、ということなので、期間としては一年半かかっている計算になる。これが長いのか短いのかはよく分からないのだが、実感としてはさほど長い感覚も無かった。

その背景には一つ一つのフェーズを納得して進めていたこともあったのだろうと思う。もちろん、途中何度か転職活動をサボっていた時期もあった(まあ、都合よく言えば充電期間的なものである)し、それを引けば一年くらいで動いた、という計算になるのだろうか。「転職活動を一年で終えた第二新卒のやつがいる」という、一つの例として見ていただければ幸いである。(つづく)

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