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転職物語③ ㋑転職したい、と思う⑵

和歌山県の御坊市というところがあって、非常に小さな可愛らしい一両編成の列車に乗って西御坊という駅まで行ったことがある。少し歩けば海が見え、そこでぼうっと、夕陽の溶けていく地平線を私は眺めていた。

そのとき、見知らぬおっさんが声をかけてきて、色々と話が弾んだ。私としては黙って地平線を眺めていたかったのだが、思わぬ来客である、付き合わない手はない。

おっさんはどうやら、早稲田大学の教育学部を中退して、何でもできると思って色々とやったがこれが若気の至り、何もできずにおっさんになってしまったという人生を長々とアツく語ってくれた。おっさんは自称プロの馬券師らしい。まあ端的に言えばギャンブラーであるとのことであった。

で、ここが重要なのだが、おっさんは自分の人生を振り返った上で、「もし君が転職をしようとか考えているなら、自分なりに何らかのプランとか、意志を持ったうえで転職をしなさい」という一言をぽろっと述べたのである。

向こうどうなるか分からないギャンブラーという生き物の口からこのような計画的な言葉が出ると、途端に言葉は重みを増していくものである。

「はぁ…」と感心とも冷笑とも取れぬ声を漏らしつつ、礼を述べておっさんと別れた。ふと海を見たときにはもう空は真っ暗、海は眠っていた―

と、こんな話である。

和歌山県の話はまあこんなところで、おっさんの言うとおり、転職に先立っては何らかの意志を持つべきである。私も同じことを思う。故、望ましいのは当然先を見た転職である。

ただ、今の厳しいご時世にあっては短絡的な転職というのも少なくない。まあ、もとより生きるために仕事をしているのに仕事のせいで体を壊してしまっては本末転倒というものであり、こういう「短絡的な」転職というのもしょうがない。

先ほど申し上げた「ストレスでやられているのでやめる」というようなケースは良く聞くところ、ブラック企業への風当たりも強くなっている今にあって、そういう「やめるほどキツい」会社の存在そのものが悪だと言わんばかりの雰囲気もあるといえばあるし、そういう会社の駆逐を目指すような方向に今の社会が向かいつつもある。

そう考えると、早期退職という短絡的な転職、つまりは「この会社やばいですアピール」は、現代社会に於いて結構有効なのかもしれない。

一方、ネットニュースの格好のネタになるのも「超早期退職した若者」である。入社一か月でばっくれるとか、入社初日に辞表を出すとかそういったケースである。こういうのがネタになっている時点で、そういう短絡的な転職をした人間を「アホだ」「社会人としてなってない」「どこに行っても上手く行かない」と批判する土壌があるということも一つの事実である。

つまり、普通に働いている人がそういう「短絡的な」若者を批判することで、自分の立場はそいつよりは”上”ということを確認し、そうして安心感を得る仕組みが出来上がっているわけだ。

正直言って顔と名前も一致しないような人間がどことも分からぬ会社をさっさと辞めたなどと言う事に飛びついて、ああでもないこうでもないと不毛な感想を述べることが極めて無駄な行為でもあるのだが、そうやって自分の取るに足らないプライドみたいなものを高く保ち続けるのが、どうやら人間の性であるらしい。

大分話が飛んでしまったが、転職をしたいと思うのは前述した三つの理由のいずれかによるものになろう。

無論これらが重なる場合もあるだろうから、複合的に考えていく方がしっくりくるだろうと思う。

しかし私自身の事を考えてみると、内定式の時から「転職したいです」という態度を取っていたわけである。つまりは「そもそも別に入りたいと思ってここにいないです(まあ、エントリーしたのは自分ですが、アハハ)」という採用チームに喧嘩を売った態度であった。

上述したような三つの理由にピタっとハマるものがあるわけでもなく、普通の転職をしたいと思う人とは、幾分違うところもあったのかもしれない。強いて言えば①と②の複合型になろう。

こんなわけで、人の頭には「転職」の二文字が浮かび上がってくるのだ。(つづく)

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