私のやり方

数日前に「内面と向き合う」という記事を書きました。

「内面と向き合う」って実際どうやってやればいいの?と思う方いらっしゃると思います。

今日は私のやり方をご紹介したいと思います。

内面と向き合うというと瞑想という手法があります。私は10数年前にインドのヨギのパラマハンサヨガナンダさんのプログラムを取って瞑想の仕方を学びました。ニューヨークにあるヨガナンダの作ったSRFの施設に行って瞑想をしましたがどうにも私にはうまくできませんでした。

なので瞑想はあきらめて😊

普通に生活しています。

大前提として常に何をしている時でもゼロポイントにいることです。ゼロポイントとは自分がいちばんリラックスできて、身体の力が抜けていて、落ち着いていて、心が平和である状態です。

そこから出てしまったと気づいたら元に戻ります。

特別なことをするわけでなく日常生活をしますが、日々色々なことが起こります。やらなきゃいけないこともあります。目の前のことを心を込めて粛々と行いながら自分の心の動きを常に見ます。

私の場合、何か起きた時に得体の知れぬモヤッと感や、痛みを感じた時は、その瞬間感謝と共に身体から出します。

心が恐怖を感じていると確信したときは、とことん掘り下げます(思考はお休みさせて)

恐怖を感じた自分に自問自答していきます。例えば人前に出る恐怖を感じたとします。

なんで人前に出るのが怖いの?→人から見られるのが怖い→なんで人から見られるのが怖いの?→どう思われるかが怖い→なんで人にどう思われるかかが怖いの?→人に嫌われたくないから→なんで人に嫌われたくないの?→ひとりになりたくないから→なんでひとりになりたくないの?→寂しいから。。。。

と、とことんこれを続けていくと思いもよらぬところまで行くことがあります。その感情の源になっている部分に触れたときにでっかい愛を感じその感情は癒されていきます。

恐怖だけでなく不安や罪悪感なども同じように掘りまくります。

過去世や幼少期からの心の傷は今現在のこの瞬間の自分に包括されています。だから今の自分が癒されれば過去の自分も癒されるということです。

これは全て自分でやらなければ誰もやってくれません。たまに専門家に会ってみるのも良いかとは思いますが、その専門家にはほんの一部分だけは癒せるかもしれません。でもそれではあまり意味がないのです。

自分のことは自分でやるのが基本です。

「内面と向き合う」のは本当に覚悟が必要です。片手間や趣味程度ではできるものではありません。心から向き合うことを決めることができないと前進しません。

自分の闇の部分、今まで無視して見て見ぬ振りをしてきた部分に向き合うのですから簡単なことではないのです。

口ではよく人は「そうだよね、自分に向き合わなきゃね」とか「向き合ってみます!」と言います。

でも口ばかりで実際やらないんです。

自分ではやらなかきゃいけないってわかってるのだけど面倒くさいし、忙しいし、深いところでは怖いとわかっているのでどうしても避けてしまいます。

どんなに素晴らしいことをされている方でもどんなに美しい方でもどんなに有名なかたでも、霊能力がある方でも私は自分と向き合うことをしていない人は信頼できないし、話が噛み合いません。

一緒にいても違う次元で生きているという感じです。人のことを強制的に変えることは絶対にできないから、自分に集中してやっていくしかないんです。自分に集中していると思いがけない友達の意識が変わっていたりするのが面白いです。

自分がどれだけ傷ついていてどれだけ重い荷物を背負っているのかが分かると本当に自分が愛おしくなります。そしてどんどん楽にさせてあげたいって思います。

でもその荷物や古い感情も宝物なのです。

「願わくば、生きとし生けるもの、全ての生命の上に、等しく夜明けが訪れますように。魂の夜明けが訪れる時まで、私は生きて生きて、生き抜いてみせる!」

「魂の夜明け」より。

みんなそれぞれのペースで同じところに向かっている。みんな別々の存在に見えるけど意識は繋がっている。

☀️🌕








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