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他人の写真に興味がなかった

ふと考えてみた。好きなカメラマンや好きな写真を考えて、何も浮かぶものがない。

カメラが仕事になって久しい。カメラを持ち始めたのはもっと前だ。でも好きなカメラマンや写真家はいない。憧れも模倣も意識的に行ってはいないように思う。

好きに撮っていた。技術的にライティングなどを学ぶために見て考えたり同じようなものができるように考えたことはあるが、その写真に好き嫌いなど意識していなかったように思う。
基本的な露出管理、光の硬さや方向、構図、ストロボなどのライティング、ソフトを用いた現像のノウハウ。誰かに師事したりスタジオに勤めていたこともないので、そういうものはネット上で誰かから学んだが、好き嫌いではないように思う。

自分で好きなように撮って好きなように仕上げてきた。他の人の写真や映像を見てインプットしないという意味ではないのだが、見ても特に何も考えていなかった。

ので。
今年頭からSNSを始めるにあたり、良い悪いではなく、好き嫌いでなんとなく他人の写真を見てみることにして、好きな写真の人をフォローしている。
だいたいにおいて、撮った人がいいと思っているものを目にしているので、良い悪いではなく好き嫌い。そして嫌いな理由を自身で言語化しつつ眺めている。

そうやって眺めているとSNSに上がっている多くの写真の方向性や自分が好ましくないと思うものがいろいろ見えてきた。
同じような写真でもこの人は誰かの模倣だなとか、この人は自分が好きでやってそうとか。

フォロワー数の多い少ないは好きと思うかどうかに関係ないなとか。良い悪いは置いておいて上手い下手もあるなとか、勝手に傲慢に眺めている。

傲慢に人の写真を眺められるようになると、自分の写真も上から見下ろせるので大きな学びにもなる。

そんなお話。

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