【第6章】~就職~20代奮闘記

5章の最後にも触れましたが大学卒業後就職は決まりませんでした。というのも障害者枠というのを知らずずっと一般の中で就職活動してたので。自分が障害者だって意識はとにかく低かったですね。あくまでも健常者相手にやるんだと。障害者はやはり健常者には勝てません。来る日も来る日も受からず、親から「もう辞めたら」と心配されましたが、元来の負けず嫌い、就職するんやって就職活動継続してました。4回生時に障害者枠を知り障害者枠で就職活動しましたが、もうその頃には新卒は大概決まっていて、受けども受けどもダメでした。スポーツに関する事を仕事にしたいって思ってましたが、やっぱり競争率は高く、厳しかったです。毎回「障害者のためになる仕事をしたい。私が仕事で頑張る事によって障害者でも仕事ができるんだって理解して貰って偏見を無くしたい」それが毎回志望動機でした。けど面接官には好評でも経営者からしたらそれ会社に必要なの?って言われたのでハローハークの就職相談で志し変えた方がいいかと聞きました。そしたら「素晴らしい。それを理解する会社が必ずあるから変えない方がいい」と言われました。理解してくれる企業はなかったですね。残念ながら
就職できず、アルバイトするようになったんですが、障害者やとアルバイトも厳しく、やっと決まった風呂屋の食事処のバイトも2ヶ月で辞めさせられました。障害者雇うつもりはないって言われました。2ヶ月間給料の振り込みも無し。辞めた後に事務所に行ってやっと給料もらいました。父親の仕事の手伝いしたり、叔父さんが郵便局の堺市で1番偉い局長だったので短期で郵便局のバイトしたりしてました。で就職するには資格が必要やと障害者の資格とれるパソコン学校に通いました。Excel、Wordの3級の資格取って、その学校の就職斡旋で相談にのってもらい、野球やるんなら土日休みの仕事がいいとアドバイスもらい、今の会社を紹介してもらいました、学生時代あれだけ行ってた就職活動。今回は1社だけで受かりました。
私の志しを理解してもらい障害者採用に力を入れてる企業でちょうど法廷雇用率が足りない時期でした。
だから私たちの年代の障害者採用は多いです。
初め総務課に入り、総務の仕事してましたが、初めは怒られてばかりでしたね。全くダメ社員でした。けど入ってすぐビルが立て替えするって事で総務として移転プロジェクトに参画しました。夜中に疾走したり、色々してたな。けどまだまだ言われた事しかできなくって、まぁその中で今に繋がる仕事任されてルール確立させたりしましたよ。基礎だけ作って業務として確立させると異動になるんですよね
その内特例子会社が大阪にできる。そのリーダーが必要だとそれに応募しました。特例子会社のメンバーとは顔見知りだったし、自分がやりたい障害者のために仕事にピッタリだと思ったのでね。総務課長からも推薦してめらい本部長からも彼なら大丈夫だとOKもらい異動。総務課は2年勤めました。
特例子会社のチームに異動し、まず総務課でやっていた仕事を教える事からでした。当時拠点が3ヶ所にまたがっていて、総務課時代はその拠点間のメール便を届ける仕事してました。毎日歩いて。体重もむちゃくちゃ減って足首も腫れるくらいになってました。
である拠点に特例子会社がいて、総務の代わりの仕事をしてと、私が仕事持って異動。特例子会社は社内のコアな業務受けて重度障害者達が仕事するというもの。総務業務を教え込む日々。メール便、郵便配ったりね。
そこで障害について勉強してきたつもりが、まだまだ障害について知らない事ばかりと気づき、また勉強しました。けどなかなか上手くいかず。障害者のためにって仕事がいかに当事者に辛いかってのを思い知らされました。部下を持ち部下に仕事させるしんどさ。自分ではできるのになぜできないのかを考え試す日々。大変でしたけど、1番充実してた期間でしたね。仕事貰うために各部署に営業したり、印刷機導入されたから部門で使うマニュアル印刷して渡したり、納期に間に合わないって悩んでた部署に声かけて2日で印刷終わらせマニュアル渡して感謝されたり、特例子会社の稼働率が一時期30%まで落ちて解散危機になりましたが、営業活動の結果80%超えるようになり、上司からは「働かせすぎや」って言われたり。本当に何でもやってましたね。総務課も全幅の信頼を置いてくれて私がいるから総務課がいなくても大丈夫だと言われてました。複合機なおした事もありましたね。人事部ではなぜか私に聞けば全て解決する、分からない事はないとウワサが立ち私もそれに答えるため日々勉強してました。期待されたらその期待値を超えないといけないって思ってますからね。異動して数ヶ月でした事ない事以来されやって間違えた際上司から怒られましたが「私それ聞いてません」って言ったら「数年いると思ってた。」と言われましたね。期待値はかなりあって一定の評価は得ていたと思います。上司(課長)は東京にいて大阪のリーダーとはよくぶつかっていて、転職を考えだしたのもこの頃でしたね。リーダーのせいなのに、私のせいにされ無理だって転職活動しました。転職活動も数ヶ月で内定が出たんです。
苦労しつつもやりたいことやってたけど、ここも2年で異動。転職活動して内定ももらってたけど、異動できるならしようと。経理課の同期がうつで休みになるって事で顔見知りだった経理課のリーダーの方が私を欲しいと指名。経理課は総務課時代隣り合わせでいつも残業してて、業務に追われてるイメージで行きたくありませんでした
1ヶ月だけと期限付きで異動しました。経理に行きながら特例子会社もやるというダブルワーク。経理に呼ばれたのは伝票処理を総務課時代にやってて教える手間がないからだったらしいです。でうつで突然休んだ同期の仕事を引き継ぎもなくやらされ、上司に聞いても分からないと言われ、けど何とかして欲しいと。むちゃくちゃな要望でした。けど何とか形にして、元通りにしました
1ヶ月過ぎましたが、戻る話はなく、そのまま異動だと。こちらに話がなく一方的に進んでました。
次回は苦悩の経理時代。やりたくない仕事をして、悩み苦しんだ時代です。人生山あり谷あり。なかなか面白い人生ですよ。体験すると大変ですけど
お時間があれば是非

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?