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「そうか、もう君はいないのか」から考える依存先の分散の必要性 [くま日誌]313号


城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」という本を読みました。本書は、妻に先立たれた著者が妻との出会いから別れまでの50年を振り返り記したエッセイになります。

最後の章は、娘の紀子さんが、父がなくなった後に「妻をなくした城山三郎」の様子を綴っています。

男女の差もあるのだと思いますが、特に著者のように妻に先立たれた夫というのは、精神的にも大きな傷を負ってしまう可能性があるものですよね。


最後の娘さんが書かれた章をみてみると、妻に先立たれたあとの城山三郎は、体重を大きく減らし、酒量が増え、妻と一緒に過ごした自宅へも帰れないという過酷な時を過ごします。

紀子さんのよると著者は「通夜も告別式もせず、墓参りも拒否し、妻の死を拒否した」とのことです。


なかなか重いエッセイでしたが、全く別の視点から考えてみると、「精神的にも物理的にも依存先を分散しておく」ことを意識しておいてもよいかもしれません。

確かに一方の視点から見ると、「深い夫婦愛」という側面から本書を見ることができますが、もう一方の視点では「精神的に妻への依存度が高すぎた」という側面もあるのではないでしょうか。

自分の父親も同じような状態になってるように見え、本書を重ね合わせてみていしまい、(余計なお世話かもしれませんが)心配になってしまいました。


特に組織で働いていると、人間関係が組織の中で閉じてしまうことが一般的なことと思います。「組織外から、友人を10人集める」というミッションがあったとして、多くの人にとってはかなりハードルが高いことになるのではないでしょうか。

またよく、組織を退職したら、そこで人間関係が疎遠になってしまい、「あれだけ同じ釜の飯を食い、いろいろ人生を語り合ったのに、、、」という気持ちになる場合もあると聞きます。


特に人間関係というのは、構築するまでにある程度の時間がかかりますし、また構築した後もそれを維持するためにも時間がかかるものですよね。ある日を境に新しい友人関係をインスタントに作れるものではありません。

また依存先を分散するというのは、友人関係だけでなく、物理的な収入源も含めてその先を分散させておくことが、いざという時のリスクヘッジになります。

有形無形、両方の資産の依存先をできるだけ複数に分散し、1つのものが倒れてもびくともしない、そんな反脆弱な体制を時間をかけて作っていくことが大切なことではないでしょうか。


■まとめ
・人間は他に依存しないければ生きていくことができない弱い生き物である。ただし、「依存先を分散する」ことでリスクヘッジをすることができる。

・一朝一夕に構築することができない友人関係も含め、時間をかけて複数の依存先を構築していくことが大事なことではないだろうか。

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