見出し画像

【小説】カセットテープなカフェバー【4】

ふと、優子を見ると、潤んだ瞳で私は見つめられていた。
「珈琲、美味しいわ。で、どうするの?私も応援するわよ」
風のように現れた野呂の事はともかくとして、一旦否定してから肯定に転じた島村まで、確かに話がうますぎる。
こうなったら、自分の目で確認するしかない。
そこで私は、野呂の会社、つまり、磁性体メーカーの日本マグネティックマテリアルズで正式に見積もりをもらう事にした。

定休日の水曜日に、優子と待ち合わせて野呂のいる工場へ向かった。
「わざわざお越し頂き、有難うございます」
作業服姿の野呂が出迎え、そのまま工場見学することになった。
「デジタル用としてメタル磁性体は、今も製造されています。しかし、アナログ用となると在庫分を残してありませんね」
野呂がそういうと、立ち止まって隅の方にある小屋を指差した。
「あちらにメタル磁性体を保管しています。残念ながら中には入れませんが、保存状態は良好です」
野呂の説明に、私は疑問をぶつけた。
「どうして、建物の中に更に小屋を作って隔離しているのでしょうか?」
「メタル磁性体は純鉄でできています。そのまま放置しておくと酸化鉄になってしまうのです。それを防ぐための設備や、万が一のための消火設備などが装備された特別な建物が必要なんですよ。幸いなことに量が限られているので小屋にしています」
純鉄が酸化鉄になってしまうと、ノーマルポジションしか作れなくなってしまう。
小屋の中を見たかったが、致し方ないという感じが残念だった。

応接室に通されると野呂は1本のカセットテープをテーブルに置いた。
そして、野呂はゆっくりと、しかし、ハッキリこう言った。
「小屋にあった磁性体で作った、メタルテープです」
「!」
「まだ、サンプルですが昨日出来上がりましてね。今週中にでも、お持ちしようかと思っていたんですよ。是非、これを試してから、お決めください」
野呂の本気具合が十分に伝わってきた。
そこで、私の想いを伝えてみた。
「まだ案の段階に過ぎないのですが、どうせ作るのならハーフにも拘りたいと思っていまして……」
私がそう言うと、野呂は大きく頷いて、
「私もその方がいいと思います。ハーフについては私共の専門外になりますので、腕のいい金型職人をご紹介させて頂きましょう」
私と優子は、見積書とサンプルのカセットテープを手に、日本マグネティックマテリアルズを後にした。

「で、どうするの?」
優子はセミロングの髪が揺れるほど笑いながら、そして、決まっている答えを引き出すかのように安心して聞いてきた。
「費用的にも生産ロットもかなり頑張ってくれているのが分かるし、出せない金額ではない。あとは音質が好みの物になるか、それが問題かな」
「じゃ、早くお店に戻って試してみようよ。珈琲ご馳走してよね。一緒に行ってあげたんだから」
勝手な事を言ってくれるが、どことなく心強かったのは事実だった。

そして、店に到着してすぐにオーディオ機器の電源を入れた。
機器を暖めている間に、珈琲を淹れる。
気分的にはアルコールなのだが、優子が珈琲をリクエストするのでは仕方がない。
と、そこへ優子が思い出したように言った。
「あ、お酒でもいいのでござるよ~」
気持ちはわからないでもないが、カセットテープのオーディションを行うのにアルコールを口にするわけにはいかない。
「カセットテープの音質が合格だったら、楽しく頂くとしようか」
そう言って珈琲を一口飲み、機器が暖まったところで自己録再を始めた。
野呂から貰ったサンプルのメタルテープを、1000ZXLに入れABLEシステムを起動する。
これで、録音環境は完璧になった。
そして、Technicsのターンテーブル、SL-1200MKⅢDに針を落とす。
このテープで録音するために選んだレコードは、ヴィラ=ロボスのChoros No.1と決めていた。
本来であれば、オーケストラのダイナミックで幅広い音域や、静寂から大音量へ瞬時の移行などに耐えられるのかをチェックすべきかも知れない。
しかし、私は自分の好きな原音を、好きな音色で再現する事が出来るのかを試したかったのだ。
あくまでも直感で感じる事こそが大切で、じっくりと考えて納得するものではないと考えている。
録音を終え、巻き戻して再生ボタンを押す。
そして、目を閉じて音を身体全体で感じてみる。
クラシックギターの弦を弾く音が、目の前、いや、耳元でなっているかのよう響いてくる。
「凄いじゃない!レコードと変わらない音でビックリ。いいんじゃない?」
優子が感嘆している。
確かに原音忠実で、久し振りのメタルポジションは鳥肌モノだった。
ただ、フラットな音域でリファレンスモデルとしては問題ないものの、最高の音質とは程遠いものだった。
「……。」
やはり、静寂性と高音質を目指したら、より高密度な二重塗布は避けられないと思った。
高音質への青写真が思い浮かんだ私は、グラスを2つテーブルに置いた。
「え?なに?あ、もしかして?」
グラスに氷を入れ、ウイスキーを注いだ。
「乾杯しよう。改良の余地があるが、きっとうまくいくよ」
「よかったわ。今夜は沢山飲もうよ。テープが出来上がったら島村さんに内緒で、私を最初のお客さんにしてね」
優子が、まるで自分の出来事の様に喜んだ。
私をお嫁さんにしてね、とでも言われたようで、何とも言えない照れが私を覆いつくした。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?