見出し画像

【小説】カセットテープなカフェバー【5】

翌日、私は野呂にサンプルの率直な感想を伝え、より高音質にするため磁性体を更に高密度、かつ、二重塗布にするようサンプル作成を指示した。
予算からすると、納品されるテープの長さは全体の半分以下になってしまうが音質が最優先という拘りは譲れなかった。
野呂は数日中に出来上がり、店まで持ってくると言った。

そして数日後の夜、仕事を終えた優子が店にいた。
ウイスキーの入ったグラスの氷を揺らすようにユラユラさせながら、
「で?カセットテーププロジェクトの進捗状況は?」
かなり気になっているらしい。
「次のサンプルテープが届くまでは、待つ以外にできることはないな」
「じゃ、テープが完成したら、あとは正式発注して終了なの?」
私はグラスにウイスキーを注ぎ、一口舐めた。
「いや、あまり知られてないかも知れないが、カセットテープには結構な数の特許が取得されているんだ。もっとも、ほとんどが期限切れになっているけどね。でも、まだ有効な特許に抵触しないように作り上げていかないと大変なことになるから、慎重に進めてるつもりだよ」
そこまで言った時、店の扉が開いた。
「こんばんは。こんな遅くにすみません」
野呂だった。
「いらっしゃい。こんばんは」
テーブルへ案内しようとしたが、野呂は右手でそれを制した。
「少しでも早くお渡ししたかったので、こんな遅くにお邪魔してしまいました」
野呂はそう言うと優子の横に座り、カウンターに封筒を置いた。
それは一目で、私が依頼したカセットテープだと気付いた。
「できたのですか?」
私は自然に語りかけたつもりだったが、恐らく興奮して声が上ずって1オクターブほど高くなっていたかも知れない。
気を遣ったのか、優子が私達に背を向けた。
トップシークレットである内容を「私は聞いていませんよ」と言っているかのようだった。
しかし、背を向けたぐらいじゃ、会話は普通に聞こえてしまう。
その証拠に、わずかに右耳はこちらを向いていた。
いや、喜んでいるのか震えているようにも見えた。
「弊社にあるメタル磁性体は1993年当時、国内最高の磁性体だったはずです」
野呂はそう言うと、さらに続けた。
「ご指示通り、あらゆる面でバランスを、そして、法律面など多角的に鑑みた上で、できる限りの高密度で二重塗布してみました」
笑顔で話していた野呂だったが、目は戦闘モードだった。
私は封筒から出したカセットテープを手に取り、無言のまま見つめ続けていた。
 2回目のオーダーであることを知らせるように、ハーフに青いラインが入っている。
 ちなみに、最初に貰ったサンプルテープには、赤いラインが描かれていた。
私は彼の気迫、いや、本気度に圧倒されていたのかも知れない。
「それでは今日は、これで帰ります」
これは、野呂なりの気遣いだったのかも知れない。
「失礼。ブレンドでもどうぞ。いや、アルコールの方がいいですか?」
我に返った私は、帰ろうとする野呂を引き止めウイスキーを出した。
恐縮していた野呂に、私はいつもとは違った雰囲気を感じていたのだ。
「何かもっと、お話したい事があるんじゃないですか?」
そこで、いつの間にか出来上がっていた優子が、頬を赤らめて会話に入ってきた。
「この際、言いたい事は言っちゃいましょうよ。さっきのマスターの上ずった声の事を考えたら怖いものはないでしょう」
さっき背を向けたのは、演技ではなく笑いをこらえるためだったようだ。
震えていたのは、私の上ずった声を聴いてのことだったらしい。
野呂はウイスキーを一気に流し込み、カセットテープへの熱い想いを綴りはじめた。

要約すると、こうだ。
磁性体メーカーの日本マグネティックマテリアルズに入社して以来、カセットテープの復活に力を注いできた。
だが、時代の流れには逆らえず倉庫に保管されたままのメタル磁性体が日の目を見る事はなかった。
そんな中、管理費用が膨大な不良在庫は処分していく話が急速に進んでいったのだ。
当然、今回のメタル磁性体も例外ではなく、何とか有効な手段はないものかとインターネットで調べているうちに、この店にたどり着いた。
そして、是が非でも今回の発注を得て、メタル磁性体が廃棄されることを避けたいと考えている、ということだった。

野呂の切羽詰まった感じから、目が戦闘モードになったり、初対面でいきなり営業するほど本気にならざるを得ないことも十分に理解できた。
「おーいマスター、ウイスキーおかわり頂戴ね」
熱弁する野呂に対して、優子の温度差のある軽いコメントに3人で大笑いした。
ただ、これはビジネスであり、感情で何かが動くものではない。
今はアルコールも入っているため、テープチェックは明日の店が落ち着く3時頃にすることにした。
野呂は「明日、私が伺い……やはり、ご判断はお任せします」と言って帰って行った。
一方、優子は嘘か本当か「会社を抜けてでも来るからね」と言い、2人でテープチェックをする事になった。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?