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本当に、大切なつながり

今朝投稿した「Twitterでモラハラされた話」について。
この1件をめぐっては本当に苦しいことが多かったのだが、実はひとつ、今も「いい意味で」忘れられないことがある。
クソみたいなつらい話だけで今日が終わるのも癪なので、ここらで合わせて話しておきたい。
※「Twitterでモラハラされた話」はこちらから読めます。何があったん?となってる方は合わせてお読みください。


話は今年の1月2日夜、私が「もう限界だ、逃げよう」とA氏を見限り、全てのSNSの更新をやめ、同好会も退会した日のことだ。

その日、私は同好会のグループメッセージに「体を壊してしまった」ことを理由に、同好会から去る旨を伝えた。
今のように、私ひとりで文章を書けるほど当時は頭が回らなかったため、母と共に文章を考えて送った。
考えようとすると頭の中をかき混ぜられるような感覚になり、気持ち悪かったのだ。

同好会にはA氏を慕う人も多かったこともあり、「何が原因で」体調を崩したのかは敢えて伏せつつ、母と「極めて穏便に、かつ誰が見ても引き止めようと思われないように」と文章をこねこねして、えいやっ!と送ったのを、今も割と覚えている。

そのメッセージを送った直後。
なんと、同好会の仲間たちから、それぞれ個人DMでメッセージが立て続けにやってきたのだ。

なぜ皆「個人DM」だったのかは分からない。
「同好会のグループチャットでは伝えるのをはばかられる」何かがあったのかもしれない。
文章をかなりたくさん書いてくれた人もいたし、私の体調を案じた言葉もあった。絵文字がたくさんの可愛らしいものも、「返信不要」と前書きのあるものもあった。

私が驚いたのは、そのどれもが、私のことを「真に」心配してくれた言葉ばかりだったことだ。
しばらくぶりにDMで見る、真心がこもった、あたたかい言葉たちだった。
A氏の監視下ではもらえなかった、そして私がどこかで誰かから貰えるのをずっと待っていたものだった。

「寂しいけど、またいつか会えるのを楽しみにしています」
「いつかまた、元気なセナさんに会えますように!」
「健康な体あってこその笑顔ですよ」
「どうか無理せずに、快復を祈っていますね」
…などなど。
ここに全てあげると、きっと何スクロール分にもなるほどの、たくさんのあたたかい言葉。優しさの詰まったメッセージ。

「何で出て行くんですか!」「裏切り者!」と強い言葉で責められるのではないか…
心のどこかに残った不安は、物の見事にやわらかく溶けて消えていった。

メッセージを映す画面が、涙で滲んだ。
返信を打ちながらボロボロ泣いた。
液晶画面と指が瞬く間にベシャベシャになった。
時刻は23時。近所迷惑も考えず、私は大声をあげて子どもみたく大泣きに泣いた。

「よかったねぇ…ちゃんと『仲間』のおったやんね。そのメッセージくれた人たちは、辞めたあとも、どこ行っても大切にせんばよ」
母はそう言って背中をさすってくれた。
私の好きなプリンをこたつの上に置いて。
その優しさにまた、頷きながら、しゃくりあげながら泣いた。

A氏からも個人メッセージの通知は来たが、内容は「電話くれ」の1行のみ。
きっと、辞めることを引き留めるためにまた電話で説教するつもりだったのだろう。過去に3時間近く、電話口でそうしたように。
トイレにいくのも水分補給も許さず、そうしたように。
「せっかくお前に目をかけてやったというのに」云々と言うつもりだったのかもしれない。

いつもなら「怖い」と萎縮したし、「言うことを聞かなきゃ」と電話をかけていたところだが、不思議とその日は何だかそれが馬鹿らしくて

「………で?」

と呟き、スマホをポイッと放り投げていた。

直前にあたたかい言葉をたくさんもらったこと…つまり「本当に私を大切に思ってくれている人がどう動くか」をたくさん見た事もあり、反動でA氏が人としてすごくちっぽけに見えたのだ。
「え、私こんな思いやりのない小っちゃい人怖がってたん?」
「え、私こんな小っちゃぁーい人に従ってたん?アホらし!」
おそらくこの瞬間、私はすべて吹っ切れたのかもしれない。

「は???夜中の11時やろ?コイツ電話よこせとか馬鹿じゃなかと? 体壊しとるって言っとるとけさぁ。そいつ本当にあんたのこと何も考えとらんね。てか夜中に電話せろて!常識ねえなあこんのクソ野郎がっっっ!!」
私の横では般若顔で中指立てながらA氏のDM通知にキレ倒す母がいて、思わず笑ってしまった。
私よかキレてるやん。なんなら殺る気満々やん。

そして、そんな母の姿に妙に勇気をもらったのもあり、その流れの中でA氏のメッセージを開くことなく、DMそのものをサクッと削除した。
あれほど躊躇いなく、「ダイレクトメッセージを削除しますか?」のポップアップに「はい」と答えたことはないと思う。

「ほんとにねえ。こがんかとに時間は使うて、心底バカらしかったわ」
そう言って、A氏を自分から切り離して笑った。
その後食べたプリンは、素朴な甘さで心地よかった。

これが、私が「いい意味で」忘れられない話である。
モラハラに相殺されず、唯一残った、同好会のよき思い出だ。
それが「同好会を去るときのこと」なのは皮肉なものだけど。

先の投稿でも書いた通り、私はまだTwitterには戻っていない。しばらく戻るつもりもない。
今もときどき、A氏のことがフラッシュバックして、苦しくなるからだ。
いつフラッシュバックも消え、また前のようにTwitterを楽しめるようになるかなんて、今のところ不明瞭である。

でも、いつか。
いつかまた、これまでのように、Twitterを楽しめる自分に戻れたら。
フラッシュバックの影に悩まされることがなくなったら。

そのときは私にあたたかいメッセージをくれた皆…元・同好会メンバーたちの元に、真っ先に「ただいま!」と言いにいこうとは、実は密かに決めているのである。

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