無職さんはなぜアンチに対応するのか

今日はほんの少しだけ、2ミリくらいは真面目な話をしてみようかと思います。テーマは表題の通りです。アンチというのは困ったもので、ある程度大きいアカウントやツイートがバズった時には必ず、どこからともなくわらわらと湧いてきます。SNSの宿命というやつですね。困った困った。困ったさんです。

私の場合であっても、皆様の応援のおかげでフォロワー数も1万人を超えることができ、今年は既に3回も万バズをつぶやく事ができました。すごくないですか?まだ4月なのに3回ですよ?すごくない?あ、そうですか。はい。そうですね、毎月万バズできるように頑張ります。はい。努力します。続けますね。

フォロワー数の増加や投稿が伸びるに従って、それに比例してアンチの数も多くなって参りましたが、これは特に私だけに見られるような現象ではなく、私が見聞きした所によるとフォロワー数が1万を超えるようなアカウントの方は多かれ少なかれこの経験を経ているとのことでした。

多くの方はそういったアンチに対して、無視を決め込む、秒でブロックする、一時的に鍵垢にする、といった対応を取ります。アンチには触らず距離を置き、自分にアンチが粘着しないようにするということですね。とても良い対応だと思います。アンチに対応していると、時間も手間も取られるし何よりメンタルが削られます。購入したてのかき氷機くらい削られます。

しかしながら私は意図的に、戦略的に、意識的にそういった施策を取らず、むしろ真逆とも言える対応を取っております。それは一体何故なのでしょうか。ノリ?暇つぶし?面白半分?いいえ、その答えはJ.S.ミル『自由論』の中にあります。本当です。真面目に。いや、ふざけてません。本当に真面目に書いていますよ。続けます。

ミルの『自由論』の中では、特に言論の自由について以下の理由から自由であるべきだと記されています。

・正しい意見であっても、活発な議論がなされなければ、多くの人はその意見が正しいとされる合理敵根拠を知らないままである。
・自由な議論がなされ、その正しい意見が間違った意見を打倒することを経験しなければ、人はその正しい意見を心の底から正しいと確信することができない。※一部抜粋

私はこの原理がTwitterでのつぶやきにも当てはまると考えております。私のつぶやきは、賛同しかされない場合よりも、アンチからの大量の反論を受けた方が、その正当性がよく確かめられるのです。アンチのつぶやきに打ち勝った私のつぶやきは、より一層その論の確からしさが補強され、強い意見となることができます。

しかも、ここはTwitter、公開の場です。私のつぶやきがアンチからの反論を打ち負かし、より強固になっていくその過程を、フォロワーの皆様はご覧頂くことができます。私はTwitterを通じて、人々にエンタメを提供したいと思い活動をしておりますので、このような過程も含めてツイートはエンタメとして完成すると考えています。もちろん、このnoteやYouTube、私の作るハンドメイドアクセサリーなど、それ自体が作品として完成しているものを提供してもいますが、ことTwitterに関しては、そのつぶやきだけではなく、それに寄せられる多くのリプライや引用RT、そのつぶやきに関するスペースでの討論なども含めて作品として完成するのではないでしょうか。

なので私は肯定、否定どちらの意見についても、手動で可能な限りはリプライを返すように心がけています。もちろん数が多くなると対応が行き届かない場合もありますし、意見ではなく私への個人攻撃に終始される方などへの対応は見送らせて頂くこともございます。お気づきでない方も多いとは思いますが、実は私も人間の端くれではありますので、返せるリプにも限界がございます。

今後も、私個人で対応が可能な限りは、アンチの方とも対話を行いたいですね。8ターン連続で暴言が送られてきたり、私のスペースを無断で録音されYouTubeに晒されたり、1つのスペース内で17回「頭が悪い」と言われたこともございますが、そういった方々に対しても真摯に対話を行おうという姿勢を貫いていれば、客観的に見てどちらが正しいのかも分かるでしょう。幸いなことにここはTwitter、客観的に見てくれるあなた方がいますからね。

サポート機能で頂いた金額は、私の生活費となります。非常にありがたいです。サポートいただいた皆様には、ランダムで表示される5種類の感謝メッセージを用意しております。お楽しみください。