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「なんでもいいから何か書け」

大学院の同期による野郎3人でのWEB飲み会もお開きに差し掛かったころ、出し抜けに津田沼(仮名)は俺にそう言い放った。

「これまでなんべんも言ってきたけど、君、表現したいもんがなんかあるんじゃないの?だったらなんでもいいから書きなよ、まずは」

寝っ転がりながら津田沼は続ける。ついでにケツも掻いている。
なんて横柄な野郎だ、と思いながらも、俺は図星を突かれて言い返すことはできなかった。

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子どもの頃から、本が、活字が、好きだった。

コンビニはおろか自販機ですらも半径数km以内に存在しない田舎に生まれ、それでいて自然にもアウトドアにもクルマにも興味がない。
何なら人生最古の記憶は、3歳のころ家の縁側に腰掛けて、そこから見える山のてっぺんの一本松を見つめ続けた挙げ句に「つまらん」と声に出したことだ。
純真無垢な3歳児として発したあの「つまらん」は、自身の半生でも屈指のソウルフルな呟きだったと今にして思う。
(ちなみに、そのソウルフルな呟きを耳にした母親はその場に崩れ落ちたと後年聞かされた。生まれついての親不孝者である)

だからこそ、本が、活字が、好きになった。

家にある絵本を、兄が読んでいたコロコロコミックを、古ぼけた子ども向けの偉人伝を、当たるを幸い片っぱしからむさぼり読んでいた。
いっこうに変化のない家の中とその近所、幼児ゆえの異常に長い24時間。
幼い自分にとっては無限に続く”退屈”という名の世界で、ほぼ唯一その無聊(ぶりょう)を慰めてくれたのが本だった。
どの本も、ページを開くたびに自分の知らない世界を一息にこじ開けて、目の前に360°スケールで広げてくれた。


本がある限り、世界は終息しない。

活字がある限り、世界は無限に広がっていく。


言語化はできなくとも、子ども心にはっきりとそんなことを感じ取っていた。


物心ついたときからそんなザマだから、小学校に上がるときにはすでに活字ジャンキーになっていた。

それも、ただ読むだけでは飽き足りなかった。

いつか、自分も本を書いてみたい。

ことばを紡いで発信してみたい


自分自身のことばで、まだ見ぬ世界を拓きたい。

そう、思うようになった。


小学校では、シリーズの大部分を読んでいた”ズッコケ三人組”に憧れて、そのパクリを書こうと原稿用紙に向かった。
1枚半で挫折した。

中学校では、少しだけ読んだラノベに感化されて、バトル物のラノベを大学ノートを縦書きにして書いてみた。
これは一応完結させた。読者はたった2人の同級生だけだったが、それなりに面白く読んでくれたようだった(そのうちの1人は主人公のイラストまで描いてくれた。これは今でも嬉しく思っている)。

高校では、文化祭の出し物であるクラス対抗演劇の脚本を書いた。
賞は獲れなかったが、オーディエンスの評判が一番良かったのはうちのクラスだった。

大学では、特に何も書かなくなった。

別段、深刻な理由があったわけじゃない。
何もない田舎からきらびやかな都会に出たことで、常に退屈が満たされていたんだと思う。
レポート課題の文学論辺りでは力を入れて文章を練っていたが、その程度で満たされるような退屈しか持ち合わせていなかったのだ。

大学院では、院内ドロップアウトの現実から逃避するために、某アーティストのファンブログと、ニコニコ生放送の過疎枠に入り浸って、夜な夜なコメントを書いていた。
いかに深い歌詞の考察文を寄せるか、いかにキレたジョークを飛ばすか。
それに、日々心血を注いでいた。目の前の現実から必死に眼を背けながら。

ようやっと念願の社会人になって、いよいよ何も書かなくなった。


というよりも、”外部への発信”をしなくなった。


したくても、その方法がわからなかった。


就職先の地方では文芸サークルなんてものは無い。
そのときどきで頭に浮かんだことをケータイの未送信メール欄に書き留める日々。
仲間内のLINEメールでギャグを飛ばすのがせいぜい。
強いて言うなら気まぐれで川柳コンテストに投稿し、ありがたくも入賞させていただいたが、どうにもしっくり来ない。


”表現の仕方”に、飢えていた。


世界が、ゆるやかに、また、”退屈”へと、閉じようとしていた。



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「……つってもなあ」
日本酒をお猪口(ちょこ)に注ぎながら、俺はため息をつく。

「なんでもいいからって言っても、何をどう書いたらいいんだよ。というか、それ以前にどこに発表すりゃいいんだよ。ブログか?ツイッターか?それもなんかしっくり来ねえよ」

「そんなもん知らん。でも、君が何か表現欲求に飢えてんのは確かじゃん。LINEでいっつもネタ飛ばしてんのはそういうことなんでしょ?それ放っといたまんまでこのままクスブってんのは良くないよ」

相変わらず無責任に津田沼は言い放つ。
だが、ことごとく的を射ているだけに、反論する気も最初(ハナ)から失せていた。



「”note”ってのがあるよ」


3人目の原(仮名)が口を開いた。



「”note”?」

鸚鵡(おうむ)返しに俺は訊き返した。

note。存在は知っている。愛読している"ニンジャスレイヤー"が、現在活動媒体の一つに用いているWEBサービスだ。あいにく課金はおろか会員登録もしていないが、ニンジャスレイヤー以外にも読ませる文章を、いくつかそのnoteで目にしたことがあった。

「うん、note。僕は書く側の人間じゃないけど、あれはいいんじゃないかな。文章で表現したい人向けのサービスっぽいよ。文字数制限もそんなにないみたいだし」

ビールを煽りながら穏やかな口調で話す原に、俺はおそるおそる尋ねる。

……何書いてもいいのかな?俺、今すぐ何か書けって言われても、たぶん自分語りくらいしか書けねえんだけど」

「う~ん、詳しく調べないとわかんないけど、たぶん大丈夫だと思うよ。反社会的なことさえ書かなければ。僕は読む専だけど、だいたいこう、エッセイ的なものも多いし、そんなに気構えずに何でも書けると思う

「よし、じゃあそれで書こう!そのノートとかいうの!!」

原の回答にかぶせるように、酔っぱらいの津田沼が結論を急ぐ。
そして一気にまくし立てた。

「なんべんでも言うけどさあ、君は何か発信しなきゃダメなんだよ。
会社勤めにうまく適合できてるみたいだけど、それが君の全てかって言ったらそうじゃないでしょ。
俺や原君は文章で表現できる人間じゃないけど、君は文章で表現できるし何より表現したがってんじゃない。
だったらやりなよ、いつまで尻込みしてるんだよ。もし俺に君のスキルと欲求があったら絶対やってるよ。なあ原君」

「うん、そうだね。僕がその立場ならまずやってみるよ」

軽い衝撃を受けた。
さっきも言ったとおり、俺が今すぐ書けるものなんて自分語りくらいのもんだ。
他人様に提供できるスキルも、知識も持ち合わせていない。そんな俺が気軽にコトを始めていいものなのかと。


いや、むしろそれでいいのだろう。
きっと、それがいいのだろう。


受け手こそ存在するが、まずは他ならぬ自分自身のため。
俺がこれまでやってきた文章表現は、いつだってそこから始まっていた。
今回も、それはきっと変わらないはずだ。

「これ以上ゴチャゴチャ考えるな、とにかくまずはやってみるんだ。
あ、ただやるからには継続だけはすべきだろうな。最悪イヤになったら辞めてもいいけどさ」

「そうだね。単発で終わっちゃあんまり意味がないだろうから、週1でもなんでも期限を設けて続けるのがいいだろうね、こういうのは。もちろんイヤになったら辞めればいいし」

酒の勢いのまま、津田沼と原は俺のnoteデビューの話をテンポよく進めていく。
こうして、俺はとにかくnoteに投稿する運びとなった。




酒の勢いで始まった話ではあるが、投稿ボタンを押す前に、細(ささ)やかに祈らせてもらいたい。



0.1ミリの大きさでもいい。


閉じかけた世界に、この”退屈”に。


もう一度、風穴を開ける一助となってくれ。note。


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