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討手は闇に

 
 宵五ツの鐘がこだまする。


 自邸の奥座敷にて、御用人茂野兵庫は目の前に端座する男を面妖な面持ちで眺め尽くした。
 藤川惣治郎。手練揃いの柏道場にあって麒麟児と謳われた遣い手ながら、失明により藩の勤めを退いている。しかしその剣才は喪われず、盲いてなお冴えを増す一方と聞き及ぶ。
 兵庫の招致に際し、惣治郎は伴も杖も携えることなく現れた。


「ときに藤川。今宵、月は出ておるか」
 兵庫は訊いた。無論、惣治郎への試しである。
「出ておりまする」
 瞑目したまま惣治郎は答える。出し抜けな問い掛けであったにも拘らず、返答に淀みはない。
 ふむ、と兵庫は頷く。直ちに次の問いを投げた。
「然らば、その満ち欠けの程は」
「……」
 黙したままの惣治郎を、柿色の行燈光が茫と照らす。
 やはり盲人には過ぎた問いであったか──兵庫がそう思った矢先、惣治郎の口が開いた。

「……待宵まつよいか、十六夜かと」

 兵庫の肌がぶわりと粟立った。
 愕きと慄きに震える指先が、自ずと縁側の障子戸に伸びる。じわり、じわりと引き開けるにつれ、肌を刺す霜月の冷気を随えた蒼光が、奥座敷をやわらかく満たす燈光に刃の如く割り入った。
 つめたく燃える月は、左方の縁を欠いている。


「暦を憶えておったのか」
「いえ」
「ならば、何故そこまで判る」
つぶ・・に御座います」
「つぶ?」
 訝る兵庫に向けて盲人が続ける。


「御屋敷に至るまでの道々、それがしの肌に纏わっていた月明りの粒。その粗さの程を思い返しておりました。望月の如く満遍なく降り注ぐ光なれど、望月に比べ僅かに粒の極めが粗い。故に、待宵か十六夜であろうと見当をつけたのです」

 兵庫は顔色を失った。先の待宵月の答酬といい、あまりにも人の域から逸脱している。
 

 この男ならば。




「藤川。あるものを斬ってほしい」
「……その者の、氏と素姓は」
「人ではない。刀じゃ」
「刀?」
「左様。あれは闇夜に独りでに動き、兇事を為す。それを討て」


【続く】