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ゴリラが私たちに教えてくれたこと

こんにちは。佳輪(かりん)です。
贈り物向けに名入れのできる縁起物の包丁を販売しています。


私は無農薬・無肥料栽培の畑を始めました。無農薬・無肥料栽培にはもちろんやり方があり、それを知るたびに自然に学ぶことが多いと感じます。

自然から学ぶことが多いといえば、最近こんな疑問にハッと気づかされた機会がありました。

戦争と人間の本性

これだけ文明が発達した時代に、世界中で争いが絶えないのはなぜでしょうか。

人間はもともと闘争本能を持っているから”そう考えられてきました。

本当にそうでしょうか。

人間の本性についはもともと、ヨーロッパで二つの対立した意見がありました。
人間は暴力的である(トマス・ホッブス 1588-1679)
人間は平和的である(ジャン=ジャック・ルソー 1712-1778)

現在は、多くの政治家はこのホッブスの人間は暴力的であるという主張を元にルールを作っています


ゴリラの本性と人間の本性

1846年、欧米の探検家はゴリラを発見されました。その時、ゴリラは胸を叩いて威嚇してきました。探検家たちは凶暴な動物としてゴリラを射殺しました。

なぜここでゴリラが出てくるのかというと、進化論として人間の祖先はゴリラのように暴力的だったのではないかという考えがあるからです。

実際、映画「キングコング」では街中を荒らす巨大ゴリラが悪夢の怪物として描かれています。

しかし、1950年代のゴリラ研究からそうではないことが分かってきたのです。先ほどのゴリラが胸を叩く行為は宣戦布告ではなく、お互い対等な立場をとって引き分けましょうという提案だったり、好奇心、興奮、遊びの現れだったそうです。つまり、ゴリラは平和的(非暴力的)な性格を持った動物なのです。

そうなると進化をする過程でなぜ人間は暴力的になり、ゴリラは平和的(非暴力的)になったのか。あるいは、人間はもしかしたら暴力的ではなく、平和的(非暴力的)なのではないか。という疑問がでてきます。


ゴリラが教えてくれること

ゴリラの研究を通してこの平和的(非暴力的)な性質が日本人と似ている点があると説かれる先生がいます。理学博士・人類学者の山極壽一(やまぎわじゅいち)先生です。

先生は「人間の世界からいったん離れて人間の世界を眺めてみると、人間の不思議さが見えてくる」とおっしゃっています。

ゴリラが教えてくれるのは、私たち人間は本来暴力的なことを嫌い、平和的で好奇心をもっているのではないかということ。

私は、この考え方にとても興味を持ちました。また、続きはこのブログでひも解いていこうと思います。


佳輪(KARIN)

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