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映画「月」は名作か駄作か?

映画「月」見てきました。

2016年に相模原で起きたあの障がい者殺傷事件をモチーフにした映画です。

実際に重度障害者施設で勤務する方が、この映画を強烈に批判するnoteも読みました
東京ニトロさんのnote、Xでかなり話題になってました。
https://note.com/tokyonitro/n/n278f1ebb7950

ニトロさんのように重度障がい者施設で働く職員さんからは
この映画を批判する方のほうが多いようですし、ニトロさんの言葉は
至極真っ当なご意見だと思います。
「あんな施設があるわけない」とむしろ、バッサリ否定してくれた方が
交通事故や病気で自分もいつ障がい者になるかもわからない身としては安心できます。
「障がい者を汚いものというという誤った価値観を植え付ける」という危惧も当然だと思いますし、また、生活支援員として働く誇りもニトロさんの文章からは強く感じました。

それでも私は、この映画「月」を見てよかったと思っています。

この映画には数々の理不尽がでてきます


ちょっと本筋とは見方が違うかもしれないけれど、職員として働く「サトくん」の給料は17万で、サトくんがいう「生産性のない人」を生かすために使う国のお金はそのもっと何倍もかかっている。(何十倍かもしれません)

「違うとこに使うべきなんじゃないの?」というのは、寝たきり老人にかける医療費でも考え方は同じと思うからです。

実際、重度の障がい者さんへの意見は別としても、
すでに意思表示もできない、胃ろうや点滴で
栄養をとり、排せつするだけとなった「寝たきり老人」を
発達した高度な医療のおかげで身体中に管をつけながら生かす意味はあるのか?本人の尊厳のためにもそれは正しいのか?
昔ならとっくに「自然死」として亡くなっていたではないか?
その状態で生かすだめに使われる医療費、人的資源を考えたら
「それってどうなの?」
という意見はかなりあるのではないかと思うからです。

ですが、見た目は、重度障がい者も寝た切り老人も同じです。
しいてあげれば生まれた時からそうだったかどうかの違いや年齢でしょうか?
(もちろん事故や病気であとからそうなった方もいらっしゃるとは思います)

映画で「サトくん」は
「心があるかないかが人間であるかどうかの判断」といい、それは「意思表示ができるかどうか」だといいます。
その上で、
「俺の彼女はろうあ者だけど心がある」といい、区別されています。
「そこにゴキブリがいたら始末するでしょ?」と
「それを判断して殺るんだ」というサトくん。
その行為は、「この国のため」という正義感なのです。

区別は差別だといのはもっともなご意見なのですが
「そんなのキレイごとでしょ?」というのもまた心に刺さリます。

「それは違う!」とどうやって説明するのか、映画後半で、サトくんが宮沢りえ演じる主人公を論破する様子は、

観客である自分の中に、「優生思想は本当に1ミリもないの?」と突きつけられるような息苦しさがありました。

重い映画ですが、実際にあった事件をベースにしているのです。


原作と映画はまた別のようですが
私は改めて2016年の事件を振り返ってみなければという気持ちになりました。
うちの母も程度は違いますが身体に障がいをもっています。

当時、本当に衝撃を受け、実際に知的障がいのお子さんをおもちのお母さんと話をしたり、保育科時代に障がい者施設に実習にも行った次男と
この事件について話したことがありました。

コロナ架があったりして自分の半径数メートルのことにしか、関心がなかったのです。
映画は私のそれを思い出させてくれました。


映画「月」
盛岡ではルミエール1で13時10分〜15時40分のみの上映です。

おそらく賛否両論あると思いますし、特に福祉分野で働く方からは
「あんな施設はない」と批判の方が多いような気もします。
(そうあってほしいですし)
それでも私は本当にいろいろな方に映画「月」を見てほしいと思います。

とくに
私と同じようにあの事件を風化させていた方に。


途中、目をそむけたくなるようなシーンはありますが、
「この役をやることでCMを降りることになってもいい」と覚悟を決めて「サトくん」を演じた磯村優斗さんを見るだけでも価値があると思います。

【映画 月のオフィサルサイト】
https://www.tsuki-cinema.com/


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