S27『おりる』
今日もあのバスに乗る。
いつから私のなかで“あの”になったのだろう?
ただ学校に通うために使っていたバスが、公共交通機関としてしか見ていなかったバスが、
今は、違う。
あと数分後に目の前で停車するバスへの乗車は、1日の中で最も輝いている時間になった。
(あ、角曲がってきた。あと、信号2つ)
(あ、青になった。こい、はやくこい。あ〜、また止まった。あと、信号1つ)
(あ、動いた。とうちゃ〜く。今日もいるかな?)
ピッとタッチして、いつもの運転手に会釈する。
少なからず、この運転手のおかげでバスは走り、素敵な時間を運んでくれるのだから、あの頃から感謝と挨拶を込めてするようになった。
(あ!いた!)
隣の高校の何かしらのスポーツの部活に入ってるだろう、彼がいた。
坊主ではないことから、野球部ではないことは間違いなさそうだった。
いや、野球部が坊主っていうイメージはこの現代においても適用されるかは分からないし、決めつけちゃいけないんだけど、でもやっぱり坊主といえば野球部なのだ。
彼を見つけるやいなや、イヤホンをつけた。
それは、音楽を聴くためのイヤホンではなくて、彼のことを横目でこっそり感じるための偽造工作。
いつも、同じ制服の友達と小さな声で盛り上がっている彼の、そこで発せられる声や話の内容を知りたくて感じたくて、でも気持ち悪いとかは思われたくなくて、へんな人だと思われないように、考えついたこどもだまし。
近くにいないと聞こえないほどの小声なので、空いていると近くにいけず聞こえないが、バスが混んで満員状態であれば、合法的に近づけて話したり様子を伺える。
もはや、この通勤通学ラッシュという鬼の所業も、彼がいるときの私にとっては、超弩級のご褒美となり、神様に感謝さえしてしまう。
そんなこんなで、イヤホンをつけ、今日も今日とて、ワクワクしながら人波に乗り、彼の近くに到達した。
力強さと優しさが同居する深く落ち着いた声。笑うとなくなる目と、口元からのぞかせる八重歯。
今日も高ぶる内なる気持ちのいい波に乗って、最高の朝ライドになるはずだった、、
「お前さ、美香と最近どうなんだよ?もうCまでいったのかよ!?」
「まだBだけど、今週ウチ来る予定だから、もしかしたらそろそろかもな〜」
聞こえてきた言葉で、急激に目の前を雨雲・雷雲がかかり、激しく波を立て、平気でいられなくなった。
彼女いたんだ、と、品のない人だったんだ、といったダブルパンチの荒波が私の心とトキメキを呑みこんで、どこか遠くへ流し込んでいく。
気づけば、私は降りるはずの場所の一つ前の停留所で降りていた。
(今日は遅刻しよう。怒られてもいいから、ちょっと遠回りして、恋のサーフィンを一回辞めよう。また乗る波を変えよう)
この日以降、私の通学手段が自転車になった。
(了)
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