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令和という時代と享保という時代。

平成から令和になった。

元号は日本における時代を象徴する言葉でもある。

日本の歴史そのものと言ってもいい。

歴史は輪廻する。どんなに科学が発達しても人間の集団というものは、ある一定の動きをするものである。

歴史を学ぶとそれがよくわかる。

それでは令和という時代は、過去の日本においてはどんな時代に相当するのであろう。

これはあくまでも私見であるが、ワタシは江戸時代、第八代徳川吉宗の時代、享保の時代と近いのではないかと思う。

昭和は激動の時代であった、平成にうつる前の昭和は元禄の時代とよく言われた。バブルに象徴される経済発展と、文化の爛熟、音楽や映画、テレビなど、平成から令和にも通じる文化の基礎は後期昭和の時代に生まれたものだ。

そして、バブルが弾け、日本は長期にわたる低成長時代が続く。

平成はそんな中、高度成長の復活を模索し続ける時代であったように思う。それは、ちょうど元禄から正徳の時代へうつる時期と酷似する。

元禄の高度成長は、生類憐れみの令で有名な徳川綱吉の治世の時代であったが、元禄の後半は天災や飢饉に見舞われ高度成長は失速をした。そのあとを継いだのが第6代将軍家宣、第7代将軍家継(若年であったため、実際の政務は家宣の腹心が引き継いだ)の親子の正徳の時代だ。

正徳の時代は、間部詮房、新井白石と中心とした経済改革の時代である。その改革には一定の評価はあるが、基本的には綱吉時代の高度成長を復活させる改革であった。

平成の間の政権も結果としては経済成長を模索し続けた時代であったように思う。結果がでなかったと結論づけるのは早いかもしれないが、アベノミクスなどもまさに新井白石などが模索した経済政策とも似通っている。

そして、その正徳の改革が道半ばで途絶え、新たに第8代将軍に就任したのがかの有名な徳川吉宗である。ここから享保の時代がはじまる。

享保の時代は国家の成長が停滞し、そこに絡む経済システム(物価、為替)の進化が加わり、極めて難しい時代となった。

吉宗が行ったことは、国家による経済統制システムの確立である。増税を中心として倹約質素、文化の抑制など、国家財政の基盤を立て直そうとした時代である。

現在の長期にわたるデフレや、閉塞感、そして仮想通貨などによる新しい経済活動の出現など、共通するところが多いように感じる。そして10月に施行される消費税の増税などはまさに享保の改革に通じる。

しかし、この享保の改革を通じて、日本は再び大きく経済成長を遂げるきっかけを得る。これがいわゆる日本の経済システムを大きく変革させた田沼意次の時代につながる。

歴史上でみるとこの令和の時代は、日本にとって、ひとつの転換期にあたる時代になりそうだ。

歴史には必ず陰陽がある。

マイナスの裏側には発展のプラスの萌芽が潜んでいる。令和は、少子高齢化やデフレなどの社会的課題の中から新しい革命的な仕組みが自然発生、意図的発生両方起こってくるだろう。

時代というものは必ずわれわれになんらかのヒントを与えてくれる。

ワタシは歴史研究家でも社会学者でもないが、この令和という時代の幕開けに自分が立ち会えたことを感謝し、その時代の一員として、昭和、平成を生きてきた者として時代というものをしっかりみつめていきたいと思う。



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