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難しいは思考の「壁」。

今週は合宿研修、一日研修、一日挟んで魔界と、教育とエンタテインメントが交錯するハードな一週間。

合宿研修は「ビジネスモデルを創造する」という思考系の研修だった。朝から晩までみっちり思考することだけに集中する研修だったが、講師側の自分自身にも気づきの大きい研修だった。

「難しい」という言葉が連発される研修会場だったが、受講者それぞれがその壁に立ち向かう姿が印象的だった。

「難しい」とはそもそも客観的な事実ではない。

その人が感じる抽象的な主観である。

なので、ある人には「難しい」と思うことがある人には「簡単」だったりする。

ではその「難しい」と「簡単」なことの境はなにか。

その境こそが「壁」である。

ではその壁はなにか?

それは「経験」である。

人は一度経験したことがあるものについては、その経験に基づいて、客観的に「わかる」ことと「わからない」ことが発見でき、それに対して判断ができる。つまり、正確な自分と課題の事実としての難易度判定ができるのだ。

一般的にいう「難しい」は、経験がないので客観的な判定ができないということを指す。

なので、それを研修で行うことは「経験を提供する」ということなので、大いに意味があることなのだ。

日本語は様々な言い回しがあり、同じ単語でも複数の意味がある。

日本人より英語圏の人たちの方が論理的なのは、単語に曖昧さがないことにあるように思う。(それが要因のすべてではないけれど)

だから、研修で使われる「難しい」も研修を始めた瞬間と、2日目の終わりでは意味合いが違う。

経験したあとの難しいは、事実に基づいての課題としての解決までの心理的距離を示しているので、同じ難しいでもそれは思考上の成長を指している。

大事なことは「経験」を積み重ねることで思考は正確な課題解決としてのか「難しい」を可視化してくれるということだ。

つまり「壁」の高さがわかるということになり、高さがわかれば、それを越える方法がみつかるというものだ。

なので、思考系の研修で最も重要なことは「経験を繰り返す」ということだ。

そしてそれはわれわれの日常でも十分、行えること。

そんなことをより強く感じた二日間だった。

そして、週末は56回「経験を積み重ねた」魔界でエンタテインメントに応用していこうと思う。

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