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子どもを持つこと【一時帰国中】ドイツ生活のぼやき - 20

一時帰国中、姉や旧友の子どもたちにたくさん触れ合う機会が持てました。昨年のこの頃、5年付き合った相手と結婚して、うっすらと「子どもはいつ?」という周りからの期待を感じていたので、子どもと過ごす時間を通して、何か考え方が変わるかななんて思っていました。

家族は「いてもいなくてもいい」と言いつつ、おそらく期待をしているんだろうなと端々から感じます。プレッシャーをかけてはいけない、下手なことを言ってはいけない……いろいろと過敏なわたしに気を遣ってくれているのかもしれません。

5年ぶりくらいに会えた小学校からの友人は、一方で、あっさりとこう言ってのけました。

「歩の子どもはいつかなあ?楽しみだなあ。どんな子だろう!」

こんなにはっきりと子どものいる将来を予感させられたのは初めてだったので、助手席でリュックサックを抱えながら、ちょっと背筋を伸ばしてしまいました。

「いつかなあ。まだすぐには考えられないけど……。それに自分がこんなに子どもっぽいのに親になるなんてね、へへへ」

ごまかし笑いをして乗り切ろうとすると、彼女はこう続けました。

「大丈夫だよ。わたしもそうだったし。……今もそうなんだよ。産むときも不安だったしさ……。でも、いろんな人に助けられている身で言うのもなんだけどね、なんとかなるものなの。大変だけどさ、大変でも投げ出せないんだもん。なんとかするしかないし、案外なんとかなるのよねぇ」

そうか、みんな言う、「なんとかなる」。
あれこれ苦労してきた彼女が言うと、妙に説得力がありました。

姉が出産したとき、あんなにも強がりな人が、身体の痛みに顔を歪めているのを見て、こんなに恐ろしいんだと震えてしまったのを思い出しました。でも、友人である彼女が、「出産もコロナで一人きりだったけどなんとかなったよ、大丈夫」と言うと、そうかも、大丈夫かもと思えたんです。

「名前はどうなるのかな?ヨーロッパっぽい名前?日本の名前?」

無邪気に重ねられた質問に我に返り、答え始めたときには心が軽くなっていました。わたしも本当にそのうち母になれるのかもしれない、そうなるのが当たり前なんだ、というふうに。

子は授かりもの。欲しいとも思いますが、いなくてもいい。タイミングとか、何人欲しいとか、そもそも体質的に子のいる人生を歩めるかとか、そもそも全て人間がコントロールできるものじゃないんですよね。それでも、どんな道に進もうとも、人生なんとかなるものなんだなと背中を押された気分です。


………

同年代の母になるかもしれない人たちと、もう母になっている人たちと、母にならない道を決めている人たちと、なれないことが分かった人たちと、たくさん話してみたいです。

妊娠も出産も、命がけで、身体が大きく変化して、すべてが変わってしまうんじゃないかと本当に怖いんですけど、仲間がいたらどんな道も乗り越えられる気がします。それから、こうやって「なんだかんだいっても母になりたければなれるだろう」と思って、いざ子が欲しいと試してみたら、そうはならない身体だったとき。どんなふうに気持ちを整理したらいいんだろうとか。

人生の先輩方の話をもっと聞いておけばよかったとよく思います。


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