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短編小説 猫を狩る7/7(最終回)

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 部屋の中には若い男がひとりいた。二十代の前半に見える渋谷の街にたむろしていそうな雰囲気の男だった。一瞬驚いたけど、参加者は女性だとは限らない。勝手に全員主婦だと思っていたのだ。なんとなく居心地が悪くなる。参加者には男性もいるとなぜ最初に言っておいてくれなかったのだろう。驚いて棒立ちになった郁子に、向かって若い男が話しかける。
「なおくんでーす。ファミレスで店長やってまーす。俺のことはよく知っているだろう」
 絶句する郁子の腕をゆりママが後ろにねじり上げた。肩に激痛が走る。
「私の名前も知りたい? 早紀よ。もちろん本名じゃないけど。あんたも馬鹿ね。こんなオフ会にのこのこやってくるなんて、脳みそが猫以下。まあ、せっかく会えたんだから楽しいオフ会にしましょう」
 背中につめたいものを感じ、体が震えた。
「他に誰か来るの?」
 けんたママという人も今日来るはずだった。
「何を寝ぼけたことを言っているの? 早紀もゆりママもけんたママも、全部私が作ったキャラなのよ。それから、そこにいるのは再婚した私の夫。私は別の人と結婚していたけど、当時の夫には愛人がいたし、誰かを好きになっちゃうのはしょうがないことでしょ。話を聞いてくれる人が誰もいなくてブログを書き始めたら、ものすごい中傷コメントが一日に五十件くらい来て、ボロボロに傷ついた。だからそういうことをするネットに巣食う薄汚いゴミみたいな主婦を狩ってやろうと思ったの」
 早紀の手を振りほどこうとすると、なおに押さえつけられて、二人ががりで椅子に縛り付けられた。なおは郁子の顔にナイフを突きつけると、
「騒ぐと顔に傷がつくぜ。大人しくしろ」
と言った。なんということをしてしまったのだろう。
「掲示板を調べて、偽のゆりママブログを作って誘導したの。他にもひとり引っかかってるけど、日を改めて狩らせてもらうことにしてあるの。宿泊費用のことは気にしないでね。人妻ハメ撮りサイトの管理人を呼んであるからそのギャラでおつりが来るわ。たくさん写真撮ってもらって、いくママの不倫日記でも作ろうかしら、メールアドレス公開で。それともご主人に直接写真送ったほうがいいかしら?」

 なおが郁子の肩からショルダーバッグのストラップを外す。バッグのファスナーを開け、財布から車の免許証を取り出す。
「谷村郁子。生年月日一九☓☓年三月十五日 住所は東京都西東京市○○町。夫の連絡先とかはスマホを見ればわかるわよね」
なおは、郁子のバッグからスマホを出して、免許証と一緒にポケットに入れた。
「お願い。それだけはやめて」
 そう言ったつもりだった。声が震えて上手く喋れない。
「じゃあ、真面目な主婦は夫と一緒に家に帰るわね。あとはせいぜい楽しんでね。すごいテクが自慢の人みたいだから」
なおが誰かに電話をかけている。通話を終えると郁子のスカートをおもむろに捲り上げる。脚を蹴って抵抗すると、またナイフを喉元に突きつけられた。
「騒ぐなって言ったろ。お前みたいなブスを犯す気はないから大人しくしろよ」
ストッキングとショーツを剥ぎ取られ、ショーツを口に詰め込まれ、ストッキングで口の周りを縛られる。ふたりは椅子に縛られた郁子を残して、部屋を出て行った。


「捕まえたわよ。尻尾切ってやろうかしら」
 小田の声だった。
「保健所に連れて行ったら」
 と誰かが言った。
「猫を飼ってる人って本当に自分勝手よね。苦情を言っても聞く耳をもたないから、私たちが猫を狩る羽目になるのよ」
 小田に摘み上げられたねねは、緑色の目を大きく見開いて怯えていた。郁子は今、あのときのねねと同じ目をしているのだろうと思う。
 
 花梨が桃実に「さかりがついている」と言われたあとも、小田とは付き合いをやめなかった。子供のことをそんなふうに言うなんてひどいとは思ったけど、急に冷たくするのも角が立つと思ったからだ。
 ねねがベランダの掃き出し窓を開けた隙に逃げ出し、三日ほど家に帰ってこなくて、夜、ねねを探しに行った。公園の前を通りかかったときに誰かが「ねねちゃんおいで」と呼ぶ声がした。公園には何人か人が集まっているようだった。ねねの鳴き声が聞こえた。街灯が作るジャングルジムの影にぴんと尻尾を立てたねねが映っている。ねねはジャングルジムから音もなく飛び降りると、小田の脚に体を摺り寄せた。小田はねねの首の後ろをつまんで持ち上げた。あのとき公園に集まっていた人たちの正論に濁った目を忘れることができない。

 郁子は早紀という女に対してまったく同じことをしていたのだ。最初からわかっていた。でも郁子にもやり場のない怒りを向ける対象が必要だった。名前も知らない誰かを傷つけることなんて考えもしなかった。
 カーペットの上を歩く、くぐもった足音が聞こえてきて、部屋の前で止まる。恐怖と後悔に胃が締め付けられる。ルームキーが差し込まれ、ドアを開ける濁った金属音が聞こえる。
               (猫を狩る 了) 

次のお話(連作短編の2篇目)はこちら          


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