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短篇小説 予告4/10 (猫を狩る11/X)

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この小説は 連作短編の2作目になります。
1作目の『猫を狩る』はこちら

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 早苗の職場であるショッピングセンターは地下一階がスーパーマーケットになっている。買い物をしておこうかと思ったけれど、ひとり分の食事を作るのも面倒だし、この時間にはもうお惣菜は売れ切れていることが多いので、寄らずに帰ることにする。
 
 葉月の携帯の着信をチェックしてみると、朝早くに数件のメッセージ。すべて女名前で、内容は朝の挨拶程度のものだ。改札を抜け、最初に来た電車に乗り、二駅で降りた。ちょうど来ていたバスに乗り込む。別れるときに前夫から受け取った慰謝料と、手をつけずに取っておいた独身のときからの貯金を合わせても、駅から徒歩圏内の物件にはとても手が届かなかったし、派遣の美容部員として再就職した身分では、とても住宅ローンなど組めるわけがなかった。十分ほどバスに乗り、降りたところにコンビニがある。自宅に電話しても誰も出ないので、葉月は帰ってきていないのだろう。
 
 コンビニの駐車場には、高校生らしき男の子が集まって座り込んでいる。今まで気に留めたこともなかった。集会する猫みたいに、寄り合っていたいのだろうとしか思ったことはなかった。でもその日は、一挙手一投足をじっと見られているような気がして、足早にコンビニに駆け込んだ。弁当のコーナーを見回しても、食べたいものなんかない。どれも飽きてしまったものばかりだった。直之と付き合い始めた頃は、よく直之が料理をつくってくれた。レストランのバイトが長いだけあって料理はなかなかの腕だった。同居を始め、バイトをやめてからは、直之はまったく料理をしなくなった。
 
 結局プリンをひとつカゴにいれ、少し考えてからあと二つ追加した。明日のパンと牛乳も買っておくことにする。ペットフードの棚の前を通ったら、キャットフードの缶詰があったので、ひとつかごに入れた。今マオにやっているドライフードが気に入らないから、鳥やネズミを捕まえてくるのだ。早苗にプレゼントのつもりなのかもしれないけれど、やはり気味が悪い。会計するためにカウンターに置かれた商品を見ていると、どこか早苗の知らない幸せな家族の買い物みたいで、ため息が出る。
 
 コンビニから出ると、さっきの高校生たちのひとりがまた早苗に視線をむける。どこかで見たことのあるような茶色い髪につるりとした顔立ちの痩せた少年だった。もしかしたら、いつか葉月といっしょにいた男の子ではないかと思う。あのときはばつの悪いような、おもねるような曖昧な笑い顔で早苗から視線をそらせたけれど、今日はふてぶてしいよな無遠慮に顔を見つけてくる。一瞬だけ睨み返して立ち去ると、ひそひそとささやく声のあとに、所在無げなすわり姿とは不釣合いな太い声で笑いあう声がした。やっちゃう、というメールの文面を思い出し、鼓動がいやな感じに早まる。団地の入り口まで、振り返らずに早足で歩いた。道を隔てて向こう側の児童公園は、鬱蒼とした気が生い茂り、夜は街灯の光も届かないので、そこを通るときは自然に早足になる。角を曲がってから、尾けられていないことを確認するために振り返った。バッグの中で、葉月の携帯の通知音が鳴る。取り出して確認するとメッセージのプレビューが表示されている。
――あいつ、びびってやんの――
 あいつというのは、早苗のことなのか。神経質になりすぎていないか。さっきいた男の子が絶対にカズであるという確証はない。カズはどこか別のところにいて、葉月の気に食わない女子をつけまわしているのかもしれない。まさか家の前にも誰かが待ち伏せしているのではないかと思い、足取りも重くなる。直之がいたら外まで出てきてもらうのに、と思ったけれど、つい二十分ほど前に電話したときにいなかったので、早苗より先に帰ってきているわけがない。同じバスから降りてきた人たちは、早苗が寄り道をしている間にとっくに姿を消して、団地内といえども人影はない。何度も後ろを振り返りながら、早苗が住んでいる棟まで歩き、短い階段を駆け上がり、鍵を鍵穴に鍵を差し込んだ。ドアを開け、シリンダー錠をひねり、少し迷ってからチェーンをかけ、パンプスを脱ぐと、その場で倒れそうなくらいの疲労感が押し寄せてきた。
 
 冷蔵庫にプリンと牛乳を入れ、洗顔料を使って化粧を落としていると、マオが足許に擦り寄ってくる。ペットフードの缶を空けてやろうと思いながら、タオルで顔を拭うと、マオは灰色の塊のようなものを咥えている。つるりとした細い尾がプラプラと揺れていて、ネズミだとわかり、早苗は悲鳴を上げた。逃げるように四畳半に移動して、パソコンを立ち上げる。早紀の不倫ブログと、不倫ブログのウォッチ版をチェックしてみたけれど、ここのところ早紀ブログもマンネリ化してきたせいか、ウォッチ版の住人達も新しいターゲットを物色しているようだ。もっと食いついてくる企画を考えなければと思い、直之が集めているエロ画像のファイルを物色してみた。あまりあからさまなものを出して、男性や業者を集めても意味がないので、控えめなものを何点か選ぶ。 
 
 今日はなおくんに早紀のエッチな写真を撮ってもらいました。ふたりだけの内緒の記念です。ちょっと恥ずかしいので、明日には削除します。ここに載せられないようなのも撮られちゃいました。 
 
 そこまで書いて、なんとなく馬鹿馬鹿しくなって、早苗はキーボードを打つ手を止めた。ドアの向こうからは、マオがキッチンを走り回る軽快な足音が聞こえている。捕まえた獲物を放してまた捕まえるのを繰り返すのが好きなのだ。ネズミごと外に出してしまえばよかったと後悔する。それにしても、なぜ猫は獲物を飼い主に見せにくるのだろう。見せになんかこないで、さっさと食べてしまえばいいのに。ほとんど嫌になりながらも、早紀のブログの続きを書いた。やはり性的なものが食いつきがいいので、ラストまでのシフトの日に、閉店後の客席でセックスをしていたら、帰りが遅いことを心配した夫から電話がかかってきたという筋書きにした。もちろん、直之とそんなことをしたことはない。直之と深い仲になったのは、家庭内の揉めごとを聞いてもらうようになってから随分あとのことだった。誠実で晩生な人だと、その頃は思っていた。そのうちに、直之は、猥褻な画像や動画を収集するのは好きだけど、実際の行為にはそれほど興味がないせいであったことを知った。

続きのお話


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