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短篇小説 予告3/10 (猫を狩る10)

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この小説は 連作短編の2作目になります。
1作目の『猫を狩る』はこちら

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 平日の午後のシフトは、忙しいだけで、売り上げもたいして上がらない。かといって、午前中に売れるかといえば、そんなこともないのだけれど、肌診断の案内のはがきなどを持ってやってきて、基礎のシリーズ一式をまとめて買っていく客はどちらかというと午前中に多いような気がする。特に、三時を過ぎたころから、早苗の職場である駅前のファッションビル内の化粧品店は、色見本をいじるだけいじって何も買わずに帰る高校生で溢れかえる。高校生のうちから囲い込み、将来の顧客に育てる、などと早苗が働いている国内メーカーの社員は講習会のたびに言うけれど、女子高校生たちは、色目だけ見て、薬局で安いものを購入していくくせに、外資ブランドの製品だけにはやたらと詳しく、国内メーカーというだけで、ハナから馬鹿にされていて腹が立つ。
 
 仕事をしながらも、葉月とカズのメールのやりとりが頭から離れない。生まれたときから、葉月のことを可愛いと思ったことは一度もないけれど、育児を放棄することなく育ててきた。男の子の誕生に過剰な期待を寄せ、葉月などゴミ程度にしか思っていない、姑と前夫がすべてをコントロールするあの家で、肩身の狭い思いをさせないように守り、離婚してからは、仕事も家事もほとんど一人でしながら、必死の思いで育ててきたのだ。たしかに難しい年頃で、直之との同居を嫌っているというのも、わからないでもないけれど、それにしてもやっちゃっていいというのは、どういうことなのだ。
 
 葉月の学校の制服を着た三人の高校生たちが店に入ってきた。三人とも異常にスカートが短く、人工的な描き眉に、リキッドアイライナーで目許を強調したメイクをしている。三人のうちのひとりと目が合った。葉月の知り合いで、早苗のことを知っているのかと思って、わずかに口角を上げて、営業用の微笑を返す。女子高生は、敵意のこもった視線を早苗に投げかけると、小声でもうひとりの子に何かを耳打ちした。ふたりは弾けるように笑い、少し離れていたところでテスターのネイルエナメルを爪に塗っていた子の腕を引っ張る。突然、葉月のメールに書いてあった、やっちゃっていいよ、という言葉を思い出す。葉月の差し金で、この子たちは、店にまで嫌がらせにやってきたのだろうか。いくらなんでもそれは考えすぎだろうと思い、その子たちに視線を向けないように努めた。就職活動中らしき、紺のスーツの女性が猫背気味にカウンターに向かって歩いてきた。ブリーフケースから先週送付したはがきを取り出し、夏用ファンデーションのサンプルをもらいに来たのだという。浮かない顔をしているのは、就職活動に疲弊しているせいだろうか。肌の質感を修正する効果のあるベースをすすめ、顔色が明るくなれば、表情も、そして毎日の生活も明るくなります、などと心にもないことを言う。化粧ぐらいで人生が明るくなるのなら、早苗は今頃こんなところにいるわけがない。お試しになってみます? タッチアップに使った商品をすべて購入していく客はみな、表情に自信がない。女は怯えたような表情で、急いでいますから、と言って、サンプルも受け取らずに逃げるように店を出た。何かを無理に買わせようとしたわけでもないのに、いったい何を怖がっているのか。
 
 それから、接客をしたり、客が途切れたときにはダイレクトメールの住所のラベルを貼ったりしながら、あっという間に閉店の五分前になったので、サンプル用のパフやチップを片っ端から集めた。閉店前には、台所用洗剤で洗うことになっている。ふと、ネイルエナメルが並んでいる棚を見ると、妙に空きスペースが多くなっている。よく見ると、ネイルエナメルの小瓶がごっそりなくなっている。あの女子高校生たちに違いないと思う。よく考えたら挙動不審だったし、わざわざ監視カメラの死角である下のほうの棚を狙ったというのは手馴れた犯行だ。葉月のせいで、物事がうまくいかないと感じるのはほぼ毎日のことだ。あのメールのことがあって、店内にいた女子高校生たちと関わりたくないと思い、目を離してしまったせいだった。
 直之にこれから家に帰るというメッセージを入れる。すぐに返信が返ってくる。直之は仕事の用事で出かけているらしい。家を出たのは夕方を過ぎてからだけど、葉月は帰ってきていないこと、食事は済ませてくるということ。ゆりママブログが盛り上がっていて、もう二、三人釣れそうだということなどが書かれている。早苗はそのメッセージには返信せずにディスプレイをオフにする。
 
 仕事の用事が具体的になんであるか、詳しく追及すると、直之は不機嫌になる。趣味のオフ会であったり、はめ撮りサイトの雅人のような人と仲良くなってただ飲みに行っているだけだったり、あるいは素人モデルの撮影会であったり、仕事と呼べるようなものではないことだけはたしかだ。ヒモのような生活をしている直之のことを考えると、ため息が出る。でも前夫との揉めごとで、憂鬱な毎日を過ごしていたときに、ただひとり親身になって相談に乗ってくれたことを思うと、直之と別れることなんてできない。

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