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短篇小説 予告7/10 (猫を狩る14/X)

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この小説は 連作短編の2作目になります。
1作目の『猫を狩る』はこちら

7
 
 それからの一週間も、用があるとき以外は葉月とも直之とも口を利かずに、早苗は割り当てられたシフトをこなした。週末は二日間とも出勤だったので、ノルマの達成に精を出し、食べられる予定があるのかわからない食事を作り、翌日に空の食器を洗ったり、鍋に残った分を捨てたりした。マオはあいかわらず、雀やゴキブリを捕まえては早苗のところに持ってくる。ほめて欲しいようには、どうしても見えなかった。私は、獲物を殺すことができます。その気になれば、飼い主のあなたをこんな姿に変えてあげることができるのです。そんな風に言われているような気がして仕方がなかった。愛情が足りなくてかまってほしいのだろうかとも考えてみた。仔猫のころは可愛らしくて、よくじゃらして遊んでやった。今はただ飼っているだけで、ごはんとトイレの掃除以外の世話はほとんどしていない。
 ある日、マオが猫用のトイレにしゃがんで、気ぜわしくにゃあにゃあ鳴くことがあって、腎臓を悪くしてしまったのかと思い、獣医のところに連れて行ったら、肛門に傷ができていると言われた。便秘のせいではなく、何者かにいたずらされたようだった。マオが誰かの家で飼われる小鳥でも殺してしまって、その飼い主に恨みを持たれているのだろうか。なるべく家から出さないようにしていても、うるさく鳴くと、直之が勝手に外に出してしまう。
 仕事を終えてからは、葉月のチャットアプリをチェックした。女友達とおびただしい量のメッセージ。今何してる? 元気? マック行こ。今日彼に会った。最近つまんないよ。夏のワンピ買った。彼元気? 電車逃した。あいつマキと付き合ってるみたい趣味悪すぎ。カラオケ行こ。あまりに気楽な毎日を送っていて、呆れる。カズという男とのやり取りは一日に二、三回ほどしかない。
――それはマジむかつく。でも、親なんだろ、本当にいいのかよ?―― 
――カズにはわかんないと思う。カズんちみたいに、あんなに優しいお母さんと、かっこいいお父さんがいたら、そんなこと考えない。
――あんまり弱いものいじめすんなよ。おまえがしんどいのはわかってるけど、殺して自分も死ぬとか、マジきもいってか、うぜーよ――
 というものだ。葉月は学校で誰かをいじめているのだろうか。女子同士のメッセージにはいじめを匂わせるようなものはない。周りに気づかれないような陰湿なやり方をしているのだろうか。問題を起こされたら尻拭いをするのは早苗の役目だ。考えるだけで憂鬱になる。
 セールの時期が近づいていたので、早苗は忙しい日々を送っていた。化粧品は定価販売とはいえ、ファッションビル全体がセールを行うので、購買額に応じたプレゼントや、無料肌診断などを企画し、はがきを送って顧客を誘導するのだ。
「島本さん、来週のシフトどうなってる?」
 チーフの美容部員に聞かれた。
「月木以外は早番です」
 原則として、シフトは一週間は固定されているはずなのだけれど、今週は月曜と木曜だけ他の美容部員にシフトの交換を頼まれたので、変則的なシフトになってしまっていた。
「お客さまから電話あってね、島本さんがいるときに来店したいからって。がんばってね。若い人だった」
 デパート内の店舗とは違って、郊外の駅ビル内の化粧品店で、美容部員目当てに来店するのは、年配の顧客しかいない。ごくまれに母娘二代のお得意様もいないことはないけれど、わざわざ早苗を頼って店に現れる若い顧客に心当たりはなかった。 
 帰宅してからパソコンで葉月のチャットアプリのアカウントをチェックした。相変わらず内容のないメールばかりで嫌になってくる。葉月の部屋からメッセージの着信音が聞こえた。
――あいつは遅番の日は十時半ぐらいに帰ってくる。
――でもいつにするんだよ?誰にもばらしてないだろうな。あとからかわいそうとか言って余計なことべらべら喋ったらどうなるかわかってんだろうな?――
 時計を見た。十時四十分。閉店まで店にいれば、帰りは十時半ごろになる。団地には新築のときに入居した老人が多く、その時間にバスを降りるのはほとんどの場合、早苗ひとりだ。帰り道に待ち伏せして襲う気なのか。前夫と結婚して、あの家で十三年も我慢して暮らしたのも、すべては葉月のためだった。ほとんど愛情など感じたことはなかったけれど、姑に粗探しをされたくない一心で厳しく育てた。葉月を連れて家を出たのは、前夫に対する意地だった。家を出るときは、ストレス性の不眠がひどくてとてもすぐに働けるような状態ではなかったのに、葉月を養うために再就職した。そのころは、精神的にも肉体的にも限界で、何を考えているのかわからない葉月には相当辛く当たった。前夫から受け継いだだらしなさと、姑に甘やかされた傲慢な性格を矯正しなければならなかったのだ。そこまでして育てた娘が、人を使って早苗を襲おうと計画している。気が狂いそうだった。
 遅番の日は直之にバス停まで迎えに来てもらおう。考えられる自衛策はそのくらいしかない。ということは、直之に事情を話さなければならないということか。直之は、早苗と葉月の間に入るのは嫌がるだろう。それに今週いっぱいは直之がいっしょなら、計画を来週以降にずらそうとするかもしれない。永久に直之に迎えに来てもらうことなんてできない。それよりも、葉月にそんなことをやめるように、諭せばいいだけの話ではないのか。早苗は葉月の親なのだ。あるいは警察の少年課にも相談し、処置を決める。そこまで考えて、やはりそんなことはできないと思う。前夫と姑とのもめごとと、直之との不倫が原因によるネットいじめでひどく辛かった時期に、姑に児童相談所に電話をかけられたことがある。気分が落ち込んで、体が動かなくて、それでも夜は眠れず、家事もまったくといっていいほどできなかった。葉月は食が細く、放っておくとろくなものを食べない。ネグレクトだと大げさに騒ぎ立てた姑が通報したのだ。すぐに児童相談員らしき女性が調査にやってきて、早苗にいろいろな質問をし、去り際に葉月に向かって、何か問題があったらいつでも連絡するようにと言い残していった。だから、警察も役所も、早苗の言い分なんて聞かないだろう。どうしたらいいか、わからない。
 考えるのをやめて、早紀のブログと、ゆりママのブログをチェックした。アヤカがどんどん図に乗ってきて、ゆりママのブログに早紀の悪口を長文で書き込んでくるようになった。胸糞が悪い。そろそろこの女の仕上げに取りかからなければ。今度はどこにおびき寄せるか。そこで、よい考えが浮かんだ。

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