見出し画像

短編小説 猫を狩る3/7

前回のお話

最初から読む

3

 家に帰ってからもう一度、早紀のブログをチェックした。更新はされていなかった。不倫ブログウォッチの掲示板にアクセスしてみると、また書き込みが増えている。

<ほんと、サキたん懲りないよね。ここのみんなで狩っちゃわない? なんか見てるだけでまぢむかつく>

<落ち着いてー。ブログ荒らすと、逃げられちゃうから、ウォッチは無言が基本>
 
 そりゃむかつく。早紀みたいな女がブログで害毒を撒き散らすから、地味でぱっとしない主婦までが変な目で見られるのだ。でも狩るっていったい何をするんだろう。その、書き込みをした人は、ゆりママだった。どの書き込みにも、ブログのURLが貼ってある。こんないかにも良妻賢母っぽいブログを書く人が、「狩る」なんて、言葉を使うのか。信じられないような気もするけど、真面目なだけにより一層義憤を感じるのかもしれない。

<ちょっと、狩るってなに?> 

 と、掲示板に書き込みをして、もう一度ゆりママのブログを見た。ゆりママのブログも更新されている。やはりゆりママは不倫が大嫌いらしく、ある有名作家の書いた不倫小説を激しく批判している。何か書き込もうかと思ってコメント欄を見てみると、すでに一件のコメントが入っている。

<こんにちは。不倫ブログウォッチのスレッドから来ました。ほんとサキたんは、女の敵だよね。どうにかして正体を暴いてダンナにばらしてやりたいよね。それじゃまた遊びに来ます。けんたママ>
 
 やはり同じようなことを考える人がいるのだ。思い切ってゆりママのブログにコメントを入れてみることにした。

<ほんとほんと。うちの猫さんが発情しただけで、あらーやっぱり猫さんって飼い主に似ちゃうのねーとか、ご近所に嫌味を言われるのも、サキたんみたいな女がブログで害毒を撒き散らすからだよね。サキたんぎゃふんと言わせてみたいす。いくママ>
 
 ゆりママとけんたママに倣って、いくママという名前で書き込みをした。この名前から個人が特定できるわけではないし、ネットの付き合いなんて飽きたり都合が悪くなったら消えちゃえばいいだけだ。
 
 たかだか掲示板とブログに書き込みをするかやめておくか逡巡するだけで、時間はあっという間に経ってしまう。そろそろ花梨を迎えに行かなければならない時間だ。時間は沢山あるのに、使いこなせない。細切れの時間はあっても、何かに集中できるまとまった時間がないのだ。
 あるいは、体力や気力の問題なのだろうか。ねねのことで、近所の主婦といさかいを起こしてから、郁子は、積極的に外に出て何かをやってみようという気にならない。ちょっと買い物にでただけで、会いたくない人に会ってしまわないように気を使って疲れてしまう。夫に言っても相手になんかしてもらえない。近所づきあいと、子供の送り迎えで一日が終わってしまうなんて、そんな気楽な人生がうらやましいと、嫌味を言われるのがオチだ。郁子はPCの電源を落とし、日傘を持って家を出た。
 この辺りにはどういうわけか、室内犬を飼っている人が多く、猫を飼っている人を見かけることがあまりない。夕方になると小型犬を散歩させている人をよく見かける。
 
 ねねがうちに来てから半年ほどたったある日に、ねねは、ベランダの窓のところに座って、おわあ、という変な声で鳴き始めた。もらってきたときにトイレのしつけは済んでいて、粗相をしたとは一度もなかったのに、家のなかであちこちに、ものすごい臭いのするおしっこを漏らし始めた。
 猫もストレスが溜まると、精神に変調をきたしたりするのかと最初は思った。でも、あんまり外に出たがって一日中鳴くので、どういうことなのかすぐにわかった。発情したのだ。それまでは外に出さなければ大丈夫だと思って、発情したらどうするかなんてまったく考えていなかった。最初の二日間はどうにか我慢したけど、あんまりねねがしつこく鳴くので外に出してしまった。それから二、三日でねねは嘘のようにおとなしくなったけれど、代わりにあっという間にお腹が大きくなってきた。まだ子猫みたいな顔して、あまりに手際がよすぎる。
 生まれた子猫は、ねねをもらってきたときと同じように、市の広報に載せ、それから獣医のつてを頼って、里子に出した。近くの人に子猫を欲しがる人はいなかった。
 それからは、ねねを外には出さないようにしていたけど、家はマンションの1階なので、ちょっと窓を開けた隙に逃げられてしまうことが度々あった。しばらくすると、上の階に住んでいる岸田さんという若い主婦が、家にやってきた。プラスチックのバケツとシャベルを持った二歳ぐらいの男の子を連れて、ゆったりとしたジャンバースカートの下腹が妊娠中期ぐらいの大きさに膨らんでいる。
「今日ね、みんなで話し合ったんですよ。公園の砂場が猫のおしっこ臭いんです。糞も転がっているし。お宅は猫を飼っているでしょ。責任を持って砂場に糞をしないようにするか、猫を外に出さないようにしてもらえませんか? 犬飼ってる人はちゃんと散歩のときに糞を拾ったりしてるじゃないですか。なんか無責任っていうかあ、猫ってなんとかっていう菌を持ってるじゃないですか。感染すると赤ちゃんに影響がでるやつ。上の子が小さいから公園に連れて行かないわけにはいかないし困ってるんですよぉ」
 そのときに、ねねを外飼いしてるわけではないことを説明して、ねねのせいではないにしても、折れて謝っておけばよかったのだ。でもねねが砂場を汚している証拠なんてない。他に猫を飼っている人だっているし、野良猫の仕業かもしれないのだ。
「じゃあ、砂場に蓋をしたらいいじゃないですか」
 と言ってしまった。
「わあ、猫飼ってる人ってやっぱり自分勝手で無責任なんですねぇ」
「だって、うちの猫だって証拠はないんでしょ」
「証拠はないですけどぉ、この辺で猫飼ってるのってお宅だけだし、ほら子猫だって産まれたじゃないですか。その辺に捨てて野良猫になってるんじゃないんですか? そういうのってすごく困るんです」
「生まれた子猫は捨てたりしないでちゃんと市の広報に出して人にあげました。知りもしないのになんで捨てたとか言えるの?」
「だって、みんなそう言ってるんです。夜に車で猫を捨てに行ったのを目撃した人がいるんです」
「そんなことしてません。でたらめ言わないでよ。その目撃した人って誰よ」
「誰だかは言えないけど、公園に通ってる人の知り合いです」
 誰が公園に通っているのか考えた。花梨が幼稚園に通い始めてから公園にはほとんど行っていない。
「もう、言いがかりをつけるのはやめてください」
 捨て台詞をはくと、郁子はドアを乱暴に閉めた。それが、始まりだった。

続きのお話


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?