#ファインダー越しの私の世界
カメラが好きだ。片目をぎゅっと閉じてピントを合わせる。ジーッとレンズが動いて、ぼやけた視界がクリアになり焦点があう。よし、ここだ。狙いを定めてシャッターを切ると、ミラーの跳ね上がる音が軽快に響いた。
その一連の動作は銃を扱う時のそれと似通っているが、カメラの場合は命を奪うのではなく、一瞬の時に静止画としての永遠の命を与えられるところが、良い。
幼いころ、家族が使っていたコンデジを借りて撮影していたことをうっすらと覚えている。実家の押し入れの奥に眠っているアルバムには、おそらく私が撮ったであろう写真たちも並んでいる。
いま思えば恐ろしく画素数の低いガラケーのカメラで一生懸命撮った写真も、スマホの普及とともに初めて覚えたアプリ加工で彩度を上げすぎた写真も、改めて見返すと写真を撮るのが好きだったのだなあと思う。
こちらに引っ越してきてひとりの時間が増えたこととや、明治村という格好の写真映えスポットと出逢ったこともあり、埃をかぶっていた一眼レフを久々に引っ張り出してきた。
久々にファインダーを覗き込み、そこから見える世界だけを切り取って、永遠にしてしまおう。
こうして改めて自分の撮った写真を見返すと、陽の光が好きなんだなあと思う。むかし、学生時代に撮っていた写真とはまた違った空気感の世界を切り取っている。
学生のころの私はどちらかと言うと、色の区別をはっきりさせたがっていた。
当時、自分がどういう写真を撮る人間なのかを表したくてコラージュにまとめてみたりしていた。いま改めて見ると非常にわかりやすい写真だ。
焦点をひとつにしぼり、彩度とコントラストを強めにパキッとした写真に憧れていたころだろう。
逆にいまは彩度とコントラストは控えめで、自然の光と影が織りなす世界をできるだけ目で見たそのままに写し出すことを意識している。
そこに何の心境の変化があったのかは、いまいち自分でもわからない。
ただひとつ私が言えるのは、今も昔も変わらず私は写真を撮ることが好きだということ。
シャッターを切ることで、いま見ているこの世界を永遠に切り取ることができる、傲慢かのようにも思えるその行為が、たまらなく好きだ。
私が見ている世界を永遠にとどめておけたなら。そうして、誰かの目に留まり、その人の心の中でずっと生きながらえることができたのなら。
そう願いながら私は今日もファインダーを覗き込む。
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