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あの時の「信じる」の意味を考えた


「信じているよ。」と心から感じて伝えたくなったあの時。
でも何を感じて、何を信じているのかが言葉にならなかった。


言葉にすると陳腐にならないかという不安もあるけれど言葉にしなければ、この思いがなかったのと同じになってしまいそうで。
だから、言葉にしてみたいと思っています。



よし、まずは検索だ!

検索欄topに出てきたのは、
創価大学理工学部『人間学研究(7)〜人間にとって「信じる」とは何か』
これによると
①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思うこと
②自分の考えや判断が確実であると思う。確信する。
③相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。


私は、もしあの場で、更には今後において、間違いがあったとしても、万が一嘘があったとしても、それでも信じたいという思いだった。だから②、③は今回は当てはまらなそうだ。嘘か誠かという視点ではなかった。
①については、本当か偽物かというところは当てはまらないが、
「少しも疑いも持たない」この質感であったのは、間違いないような気がする。



では、少しも疑いのないのは何に対してなのか。

思いつくだけ列挙。

成功 達成 努力 願い 想い 可能性 輝く未来 立ち向かう心 失敗に意味を見出せること 人間らしさ 本当の自分で生きること 生き生きとした姿 自分の人生を生きること 人生の舵をとって前に進むこと あなたなら大丈夫…

うん。全部。

列挙したのをみていくとNCRW(People are naturally creative, resourceful, and whole.)が想起される。

でもNCRWを信じるってちょっと違う気もする。

うーーーーーん。



創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在のあなたが作り出していく未来を楽しみにしています。



あ~これだ。

やっぱり言葉にしてよかった。

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