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もっと柔軟に学び、さらに上を目指してほしい

(書き下し文)
子(し)貢(こう)、問(と)いて曰(いわ)く、賜(し)や何如(いかん)。子(し)曰(いわ)く、女(なんじ)は器(き)なり。曰(いわ)く、何(なん)の器(き)ぞや。曰(いわ)く、瑚(こ)璉(れん)なり。

(現代語訳)
孔子様がたれかれと門人たちの批評をされるので、子貢が「私はいかがでござりましょう。」と水を向けた。すると「お前は道具だ。」と言われたので、子貢いささか平らかならず、「何の道具でござりまする。」と押しかえしたら、「瑚(こ)璉(れん)だよ。」とおっしゃった。

(私の思い)
人間だれしも器というものを持ち合わせてこの世に誕生すると思うのですが、その大小や形に関しては人それぞれ異なる。
また最近は、多様性という幻想に魅せられて、器の必要性すら問われているような時代になりつつあります。
そんな世の中でも、歴史(時間や経験)と供に層を重ねて深みを増し、器の大きさが計り知れないような魅力的な大人が未だ存在することも事実。
ここでの魅力とは意識せずとも出てくる色気やフェロモンに近い感覚のものです。それは外見(顔や身体つき)にも顕著に出てくる。
それをカッコいいと認識する人間も減ってきている気がする。
この辺は最も危惧するべきものであり、今までのそれからこれからの大きな課題であると思っています。

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