未来が忘れていく(『Sister On a Water』Vol.5 )


『Sister On a Water』Vol.5  に寄稿した詩をアップします。

未来が忘れていく

目の前に広がる海はなんの援助も必要としないし、延長体は精神に由来するもの、それを媒介とする結びつきを要求はしない。他方、わたしはといえば、過去の取り巻きの、円錐形の錐に触れつづけることでしか存在しえないのだから
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ミサコちゃんがうたっている うたいつづけている 土間は踏み固められ地球の膝元まで つつましい高さに生き延びようとする こちらはとても 着物を開けてはおかめ人形が幾度も沈んでゆく 口はだらしなく蚊母鳥のようで 薄れてゆく輪郭のさき不在という存在へ火箭を放ちながら 探ってはいけない あんたらもこうやって生まれてきた 夜よりも大きな眸に見つめられて 母家を出てから汽船場のほう イノハナの橋から覗き込んでは ここに沈んでいてなぁ 油膜の裏側で揺れ続けている 父の息づかいが転調するたびに熾火は明滅を繰り返し 壊れはじめなのかもしれない 腕を伸ばしても叶わなかった鳥や日付けを数えないと決めた それからさきのおかめ人形 多分見たことあります 一度きり魚は跳ねて 瞬きをするまに 風とも頁とも異なるよわよわしさで微笑んだりしながら ミサコちゃんはだれかに だれかは蚊母鳥に 蚊母鳥はミサコちゃんに 汐見の茎を舐めながら そらがすこし下がったようだ 閂を緩めれば母音だけが月の横から漏れはじめる
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沈黙という呼びかけに黙秘する 黙秘というこたえを呼びかけが遮り 目を閉じれば〈呼湖路(こころ)の〉仄かにオト/コエがあって デモステネスの雄弁を羨みながら 「我々は充溢しか知覚せず、思考さえもしない 空虚は存在しない」ベルクソンの思考だ 〈無〉などどこにもない せとまりん しろい文字は掠れて年老いた女の口元のように待ち続ける だれかがだれかを頼ってだれかと別れたまま 橋を渡るころに 軍需工場から のち沈めたられたことを知るひとはもう 明るさ暗さの塗りむらを取り繕うように 追憶と同じ数だけ〈イノハナ〉が咲く 水面へ落とした〈う〉の莟に 身誤(みご)もるオト/コエがあるとしたら うわごとのように 波は外洋(そと)へと抗うことはしない 〈もどる〉という記号(区分)や〈うむ〉という情念(分割)が〈未来が〉上書きされる
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心音だけのうたが ミサコちゃんの悲堕離(ひだり)のほう 雨よりも涙よりも水の抜けた魚よりも 写し絵の身に atui(う)と恐る恐る口に出してみる うたってごらんよ 未来が忘れていかないように

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