自分の心を落ちるとこまで落とす技術を失った
今、心が落ちている。
心というか、自分をまとってる空気が重い。
理由はたぶん、こんな感じ。
・天気の乱高下がすごいから、寒いから
・出かけすぎて疲れたから
・排卵的な都合
・結婚や引っ越しでソワソワ
・お金の計算をしていないので無駄に不安
・仕事の「準備」ばかりして、直接お金になる作業をしていないから
・自分の欲求が信用できなくて疲れるから
こんな感じ。
以前の私は食事や性生活、睡眠のリズムも終わってたので、こんな風にどんよりすると「さらに自分の心を痛めつける」行為に走ってた。
簡単にいうと、過食やドタキャン、願ってもない性的体験など。
ちょっとモヤモヤする出来事があると、さらに心を落としてた。そうすると落ちるとこまで落ちて、地に足がついて、変な場所で落ち着く。ダメな場所で心を落ち着けることができていた。地獄に座って安心、みたいな。
だけど現在の私の生活はまともだ。食事は健康的なものを作ってもらってるし、十分眠っているし、はちゃめちゃな性を実行する相手も存在しない。だから、少し心が落ちることはあっても大したことない。ダメな行為はしない。
これは一見「良いこと」「健全なこと」に見える。
本当にそうかな。
確かに幸福なぬるま湯に浸かっている感じがするけど、中途半端に落ちるのは気分が良いものではない。
落ちるとこまで落ちた方が気分が良いと思う。
最低な場所に落ちるためのエンジンを持っていない、なう。
中途半端な場所で宙ぶらりん。上にも行けず、下にも行けず。
元気もなく、病むこともできず。
死にたくもならず、輝きもしない。
自分が求めてるものは何なのか。
何が楽なのか。
楽が好きなのか。
私の好きなことには辛さが伴うのか。
バランスを考慮した時、何を望むのか。
自分の欲求を知ることは本当に難しいことだ。
だから
自分の欲求を数字に置き換えて頑張ってる雰囲気に酔ったり、
他人のために全力を出したり、
病んでるから行動を起こさなくていいやって言い訳したり、
そういう時期はある意味楽だ。
満ち足りている方が、生きるのは難しいんだと思う。
何もかも足りないうちが華だね。
とか言いながら、過去の自分や他人を眺めるのはツマラナイ人間の象徴だから良くないね。
常にプレイヤーでいたいよ。
マネージャーでも、教育者でも、教祖でもない。
プレイヤーとして迷いながら自己表現を続けるのだ。
迷いが無くなったら面白さを剥奪される。
迷ってる自分や「よく分からないもの」で溢れている今は、まだ幸せを享受できる。
自分の心の声を聞こう。たとえ何も生まなくとも。
何かを生み出すことだけが大事なことじゃないよね。
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