責任感のなさと、興味のなさ
「○○をするなんて、△△さんは責任感が無いよね」
このような言葉を聞くと、自分のことじゃなくてもギクッとする。
なぜなら、わたし自身も責任感が薄い方だという自覚があるから。自分のことを言われている気分になる。
責任感の薄い自覚があるわたしとしては、責任感のなさ≒興味のなさだと考えている。
責任感のなさに対して悪くは思っていなくて、ただ興味がないだけなんだ、と割り切っている。
なぜ責任感がないような行動をするのか?
それは、対象に対して興味・関心がないから/なくしたからだと思う。
たとえば手作りの洋服を途中まで作っているのに放置するのは、手作りの洋服を作ることへの興味・関心を失ってしまったからなのでは。
たとえば「○日までに教えて」と言われたことを忘れてしまうのは、そもそもそのことに興味・関心がなかったからなのでは。
ゴールに向かって過程を気にせず頑張れる人は別かもしれないが、
過程重視の人は、そのこと自体に強い興味がないと、最後まで行動を遂行できないんじゃないだろうか。
興味のないことで責任感を持つ方が難しいと思う。
「面倒くさい」くらいなら習慣をつくってこなすべきだと思うけど、「興味がない」ものを運用するのは厳しい。
興味ない異性と付き合えるか、結婚できるか、ともに暮らせるかと言ったらまず嫌である。
「好きだけど面倒くさい」ならパートナーシップの見直しや話し合いの余地があるだろうが、
「興味がない」までいってしまったら、パートナーシップの見直しや話し合いをする気にはならない。
自分にとっては興味がなくて、どうでもいいのだから。
(過去を共有してきた人なら、心に宿るギリギリの敬意と優しさを持って最後のやり取りはするべきだと思うけど。)
飽きながら、対象を変えながらでも、その時その時で興味あることに向かい、都度責任感を持って過ごすくらいでいいんじゃないだろうか。
責任感のなさは、責任感がないと言われている人の立場を想像してみると「そりゃ責任感持てないよね」と納得することが多い。責められている側の人に対して納得することのほうが多い。
毎日投稿217日目。
サポートはお菓子代になる予定です