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12/13(木)日記と「疲れたよ」って話

いつも通りメモです。仕事のメモと、なんとなく疲れた話。あと、頭の中をただただ垂れ流した。なんの面白みもない脳みそ直結の文章です。

■よかったこと
(仕事)
・館山に打ち合わせ行けた
・地域メディアで記事を書けることになった
・金融10記事もらった
・仕事は楽しいかね?読めた
・隙間時間にも仕事できた
・FP勉強進んだ(社会保険分野)
・ツイッター4回に抑えられた

「打ち合わせ」というものにちゃんと参加できたのが良かった。社会に所属してる感じがするし、役に立てる感じがする。

金融メディアもとりあえず10記事もらった。ガツガツこなすだけ。ライティング案件をセーブしてたので、ガッツリ系の案件をもらえて非常に嬉しいです。

隙間時間にはメールの返信や思考整理ができた。ポケットワイファイを用意して良かったと思う。

FPの勉強もした。偉いね。ちゃんと勉強するのなんて、大学3年生のとき以来なので楽しいし嬉しい。優等生気質だから、範囲の決まった試験勉強は得意だよ。

(暮らし)
・晴れてた
・疲れてることを自覚できた
・れんこん美味かった

あんまり大したことは無い。疲れてた感じ。

■反省、改善、よくないこと
・疲れが溜まってて、夜に泥になってしまった
→また休むの忘れてた。週に数回休む日を設けるべきなの??????休んでも暇なんだよな。


・音に敏感すぎる。生活音がうるさい。
→もっとイヤホンや耳栓を使いこなそうか…。


・疲れると何もできなくなる
→こんな感じで生きてくべきか、休みを完全に設けるべきか迷う

単純に疲れてる感じ。以下、noteに呟いてたこと。

____

ちょっと疲れてる。

でも、疲れに気付く余裕も、いっぱい眠る余裕もあるので大丈夫🐢

回復が早い🐢

この働き方が好き🐢

なんでもかんでも「宗教みたい」って言葉で拒絶する人とは仲良くなれない。そもそも宗教=怪しい、奇妙、良くないものって思ってるところが浅はかな人生だねって思う。お金と宗教の勉強はまともに生きる上で必須だね

ちょっと疲れてしまった。仕事も勉強も終了、風呂はいって読書する。また勉強かーい

仕事増えてきた、疲れた、苦手なことも少し増えてきた、楽しいしやりたいことだからやるけれど、疲れてきた。自分との対話を忘れずにしよう。頑張ってる自覚もなく頑張ってる気がする。夢中といえばいいのだろうか

人の話を1から10まで全部聞いてしまうので、人とまともに会話すると疲弊する。テキストがいい。声とにおいと表情と空気と色と…情報が多すぎて、疲れるに決まってる。

人のせき、くしゃみ、のどをならすおと、ビニール袋の音、物がぶつかるおと、風で窓が揺れる音、全部すごく苦手で、それだけが唯一のストレスと言ってもいいくらいストレス

別に売れてないのに売れてる雰囲気だして集客するの苦手

世の中には、私が自然に想像するよりもずっと、孤独な人で溢れてるのだと思う。孤独だと人は死ぬ。貧乏でも死なないけど、孤独だと簡単に死ぬ。

病気や災害や交通事故を過剰に恐れている。それを小馬鹿にされるのはよろしくないと思う。スピリチュアルに傾倒している人には、話が通じないときがある

疲れてると思う。のに、何かしようとしてしまう。休めばいいのに

_____

全体として言えることは

・メンタル的に意識高いのに体が雑魚。体が追いついてない

・急に新しいことを始めまくって疲れている。しかも結婚して引っ越しもした。気圧もひどい。

・排卵

・疲労により、発達障害感が強く出ている

・実務的な仕事や作業(各所連絡、ライティング、打ち合わせ)ばかりしてて、クリエイティブなことや創作の時間が取れていない

・読書も宮沢賢治じゃなくて、仕事関係や知識的な本、つまり勉強ばかりになってる

いや、これは疲れるに決まってるわ。生活環境がガラリと変わって、仕事も変化して、天気も悪くて、ホルモン的な問題もある。

仕方ないね。仕方ない。こんな環境の中で、よくやってるよ。


最近ね、「自分はできる人」って強く思いすぎて疲れてしまったかも。意識を高めるというか、モチベーションを最大限まであげるというか。頑張ろうって気持ちや「自分はできる、やる」って気持ちが強すぎて、自分で自分を苦しめている気がする。

私は極端な人だから、「やる」と決めたら倒れるまでやってしまう。努力というより「夢中」になって、自分の状態や疲れ具合に気づかなくなる。

それはそれで良いけど継続性に欠けるので、やっぱりもう大人だし、継続できるやり方を探っていかなきゃって思う。どうせ倒れるんだけど。


まるもに行ってないな。月曜は行ったけどね。最近は毎日通ってたから、3日行かないだけでも「行ってないな」って思う。

シェアハウスにいるときは、まるもに行かなくても住人と交流するので、人と会話していた。

でも今はシェアハウスじゃ無い。まるもに行かなきゃまるもの人には会わない。静かで落ち着いてていいけれど、自分から行かなきゃなぁって思う。家にはりょうごくんしかいないからね。おまけにTwitter減らすキャンペーン中だからね。明日は暇だし、まるもに行こうかな。普段会話しない人とちゃんと話したい気持ちもある。分からんけど。

美味しいもの食べて、やりたい仕事頑張って、疲れすぎずに、お風呂に入って、いろんな人と話したいな。

いなフリ講師をやったおかげで「人と関わろう」とか「それぞれすごい部分があるから学ぼう」とか思うようになったけれど、あんまり人と関わってないなぁ。疲れちゃうからセーブしてるんだけどね。人間関係って苦手じゃないから難しくはないけど、キャパが狭いのでなかなか思うように形成できていない気がする。これが私だから、まぁいいんだけど。


実務ばかりで心が疲弊してるのかな。私の中でよく考えるのが、実務↔︎クリエイティブ。対極ってわけじゃないけど、私の中では対極にしがち。

私は「クリエイティブに憧れてるけど、実務に向いてるビジネスマン」なんだと思う。

特に5〜6月までは「ふわふわした人」「詩人」「何もしない」みたいなことを前面に出して活動してたけど、今は「ライティングで稼ぐ」「FP取得する」「タスク管理ガチガチ」「アフィリエイト立ち上げ」みたいな。え、全然違うじゃん、みたいな。

結局、ふわふわ系に憧れてるだけの実務人間なんだと思う。数字を出すことや結果を出すことは、結構簡単にできてしまう。向いてるし、基本的能力が高いから。

でもね、クリエイティブ的な方面に憧れてるのだと思う。

詩や短歌の応募を増やしたいね。絵本も。

でもね、コンクールに計画的に出せる時点で、やっぱり実務人間なんだよね。

実務人間として結果を出せそうな準備をしてるのは、楽しいよ。お金を得る感覚も出てきているし。

でもね、それでも、お金がない状態で、瀕死の状態で創作していた時期は尊いなぁと思う。戻れないんだけど。

お金があったほうが楽だし幸せだし色々なアイディアがわくんだけど、凡人のアイディアしかわかないんだよね。

お金がないのときの方が、面白いこと考えてたと思う。絶対そうだ。

だからって再び貧乏に戻るつもりはない。

ああ、若さや貧乏っていう時代は苦しいけれど、明らかに尊いのだよ。

若さや貧乏を脱出した私は、他人の貧乏を面白がったり、支援したり、そういう「周辺」になってゆくのだろうか。

プレイヤーであるには若くて貧乏で不幸っぽい方が有利だよね。

何も持たないことの尊さよ。何も持たずに生まれてきたのに、なぜ両手いっぱいにガラクタを抱えてるの?



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