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『ゆびの音、骨の音』

完璧な仕事は美しい音楽の進行とよく似ている。

静かに始まるAメロ、今後の上昇を心地よく期待させるBメロ、そしてドラマティックなサビ。なだらかな曲線を描いてから終結するようにわたしはこれまで数々の任務を楽々と成功させてきた。これはおごりでも自画自賛ではなく周知の事実だ。

だが今、目の前の人型ロボットを前にして人生初の挫折の予感をひしひしと感じている。気を取り直すために首元のネクタイをきゅっと閉めなおす。

「木村サン、駐車場ノ猫見タイデス。休憩休憩」

松山工業の必要最低限の機材のみ揃っている簡素な研究室のなかで、わたしと一体のアンドロイドは向かい合って座っている。その図はとてつもなくシュールだ。小学六年生女子の平均身長、平均体重で作られた人間そっくりのロボット、名前を「あまね」と言う。彼女は両手をぎゅっと握って長机をどんどん叩いて足をばたつかさせて「休憩休憩」と騒いでいる。人毛のボブカットがばさばさと揺れる。

休憩といえばつい15分前に取ったばかりで、先ほどはあまねにせがまれて廊下の窓から鳥を眺めた。と言っても鳩、カラス、スズメ、めじろといったよくいる鳥だけれども。彼女は動物に深い関心を示すタイプのロボットだった。

「あまね、さっき休憩したばかりでしょう? あなたまだ今日の分のデータ、飲み込めてないからもうちょっとがんばろうか。ね?」
そうたしなめるとぷうとシリコン製の両頬を膨らませた。

2026年現在、家電や日用品のAI化が進み、併せて説明書変わりとなる音声ガイドの割り当てが必要不可欠となっている。あらゆる年代でも聞き取りやすく、またわかりやすい音声を生成して製品に植え付けるのがわたしの本来の仕事ではある。

今回イレギュラー案件として、アンドロイドの声を生成してほしいとの依頼を受け、ロボット研究および製造を行っているこの松山工業に出向しているのだが、なかなかどうして企画書通りにことが進んでくれない。

こちらとしては事前に万全の準備をして臨んでいる。音声データだってばっちり用意してあるし、あとは地道に音声を再生してあまねに落とし込めばいいだけの簡単なお仕事のはずだ。しかしこのロボットあまねがなんというか、気がそれてしまうのかちっともこちらの言うことを聞いてくれないのだ。

ロボットというものは基本人間の指令に応じるもののはずなのだけれど、彼女に関してはまったく一筋縄でいってくれない。想定外すぎるあまねの動きにさすがのわたしも気持ちが焦り始めている。納期は来月。桜が咲くまでに完成せねばならないのだが現状では厳しい。なんとも厳しすぎる。あー! ほんと困る、と髪の毛をぐしゃぐしゃにしたらあまねも真似をして自分の髪の毛をぐしゃぐしゃにしてエヘヘと笑っている。表情と動作だけは豊かなんだよな、この子は。とにかくなんとしてもこの不自然な音声をもっと自然に本物の人間が発声しているように調整したいところなんだけど。

あまねの管理者である斉藤さんに集中力を高めるようシステムをちょっといじってほしいと頼んではいるのだが、どこかいじるとまたどこかがおかしくなるからまずはそのまま実行してほしいとの回答だったので、もうこうなったら腹を決めて、じっくり取り掛かるしかない。
今回はいつものスマートな流れの仕事とは決してならないだろう。ひとつため息をつき、ドアの窓の外を見ると、あまねと同じくらいの年齢の少女が通り過ぎるのが目に入った。

「アーッ! オトモダチ! オトモダチ!!」
彼女があまねの視野にも入ったのか、指を指してそう叫ぶとすっくと立ち上がり、接続されているコードを全部自分で引っこ抜いて、ぼさぼさの髪の毛のまま部屋を出て行ってしまった。ちょっと待って! 慌てて立ち上がった瞬間、腕でマグカップを倒してしまい机にコーヒーが広がってしまった。
機材の水没阻止を第一に考え、室内の掃除道具入れからタオルを探して机をざっと拭いてからあまね回収のため廊下に飛び出る。ああもう全然うまくいかない。なんなんだもう。頭ががんがんする。

「マザー、あまねハオトモダチト一緒ニ勉強シマス!」
廊下に出るとあまねの大声が室内に反響していた。……。音のボリュームも後で調節しなくてはいけない。またひとつ問題が増えたことに気づかされて、胃がきりきりと痛んだ。

「もう、あまね、勝手に研究室でちゃダメでしょ。あ、木村さん、お疲れ様」

斉藤さんがこちらに気づいて片手を挙げる。斉藤さんとあまねの間には先ほど通り過ぎた少女がいた。来客用の黄色のストラップのIDケースを首から下げ、ブレザーにチェックのスカートの制服を着用してる。あまねよりも10センチくらい背が高く、髪はふたつに分けて結っている。そして両耳には……Bluetoothイヤホン?
「凛(りん)、ノート、持ってきてくれて、ありがとう。すっごく助かったよ」
斉藤さんはひとことずつ大きく口を開けて、両手を使ってジェスチャーをしながら彼女に話しかける。凛と呼ばれた女の子はにっこり頷いた。

「斉藤さん、その女の子は?」
「この子は私の姪っ子の凛です。小学六年生だからあまねと同い年だね。この間、姉の家にノートを忘れちゃってね。ここの近くに住んでるから、持ってきてもらったのよ」
斉藤さんが凛に目配せすると彼女は深々とお辞儀をした。
「もしかして、耳……」
「そう、完全に聞こえないわけじゃないんだけど、補聴器つけてもかなり聞こえづらいみたいで。生まれつきなんだけどね」
「学校は?」
「姉がね、できるだけ普通通りが良いって、ろう学校には入れたくないって言ってて今は市立の小学校に通ってる」
凛はブレザーのポケットからスマホを取り出してすばやく文字をフリック入力する。「叔母がいつもお世話になっています」と書かれた画面を見せてまた柔らかく笑い、またスマホで何かを入力する。
「この子がうわさのあまねちゃんですね。とっても表情が豊かでかわいらしいです。ほんの少しだけですが、あまねちゃんの声も聞こえます。」
液晶に書かれた文章をのぞき込んだあまねが、あまねガ可愛イデスッテ! 凛サンハ、グッドガール。とはしゃいでいる。そんなロボットのぼさぼさの髪の毛を凛が丁寧に直してあげている姿を見て斉藤さんがこんな提案をした。

「木村さん、音声の落とし込み難航してるんだよね? もしかしたら、今チャンスかも」
「チャンス?」
「あまねが興味を示した人や物でうまく集中させてあげると飲み込み早いかもしれないから。凛、協力してくれる? ロボットに、言葉を、教えてあげる、お仕事なんだけど」
すかさず手話で凛に伝えているようだけれど、大人の仕事に子どもを巻き込むのはさすがに気が引ける。
「え、斉藤さん何言ってるんですか。プロジェクトに小学生巻き込むのまずくないですか」
「大丈夫、大丈夫。納期に間に合わせるのが最優先だから。いいのよ、全部結果オーライになるからさ。なんかあったら全部私が責任取ってあげるから安心してやっちゃってよ、はいこれ私のサイン」
斉藤さんはそういうと「なんかあったら私が全部責任を取ります。斉藤チカ」とたった今ペンで殴り書きした名刺を鼻先に突き付けてきた。以前から斉藤さんの男っぷりが良いという噂はかねがねだったが、ここまでコンプラがん無視でプロジェクトの成功を第一に考えるタイプとは思わなかった。

それに、付き合わされる凛だってたまったもんじゃないだろうと彼女の方を向くと笑顔でピースサインをしている。うそ……付き合ってくれるの……。この叔母あってこの姪だよなあ……。恐るべし斉藤家の血。

「あまねにはオトモダチガイマス。ウレシイウレシイ」
平日の16:00から18:00の間、凛に研究室に来てもらい、あまねへの音声の落とし込みを手伝ってもらうようになってから、斉藤さんの予想通り、以前と段違いのスピードで学習していくようになったのだから彼女の読みは侮れない。
これまで単純に音声を聞かせて発声をさせ、誤ったり不自然に聞こえる発音を矯正していく方式を取っていたのだが、凛の提案で様々な図鑑を取り寄せイラストや写真を見せながら覚えさせていく方式に変更してからはあまねの飲み込みがずば抜けてよくなった。やはりあまねを活かすには興味のあることもので引っ張ってあげるのが一番良い方法らしい。

凛とあまねのコミュニケーションを観察していると、基本的なコミュニケーションとは何か、ということを考えさせられる。「猫」とあまねが言えば、猫の手話を凛がする。「猫が寝テイマス」とあまねが言えば、そのように手話を凛がして、凛の手話をあまねが真似る。発声を学ぶとともにあまねは手話も習得するようになったのは意外な成果かもしれない。よしよし今月の月次はいい報告ができそうだ。
「凛さんの夢は何デスか?」
あまねがあるとき、凜にそのような意味の質問を投げかけた。右手を開いて指先を上に向け、頭を揺らしながら指を上げるしぐさをする。「夢」のジェスチャー。
凜は少し考えてから、指を動かす。『爆音で音楽を聴きたい』が彼女の答えだった。『わたし、本当にほんのわずかしか音が聞こえないの。叶わないかもしれないけどいつか叶ったらいいなって。でも無理かもね』。
病は人を老成させる。12歳とは思えないほど哀しく微笑む凛に、やっとわたしの出番が来たなと口の端を上げにやりと笑った。
「凛ちゃんのその夢、割とすぐに叶うよ。それも、目の前にいるあまねが叶えてくれる」

「骨伝導システム」というものをご存じだろうか。その名の通り骨を通じて音楽をダイレクトに聴覚に伝えるシステムのことだ。難聴を患ったベートーヴェンが作曲できたのはタクトを口に加え、その先をピアノに押し当てて骨伝導で音を聞いていたのは有名な話かもしれない。
そして、あまねの特性の一つに教えたものをそのまま記憶して正確な音で再現できる、というものがある。またあまねには骨伝導で音を伝えるシステムも搭載されているんだ。
あまねの教育当初は集中力がまるでなくかなり難航してたけれど、凛と共に本来の性能が正しく発揮し始めているから今ならきっと最高のパフォーマンスで実力が発揮できるはずだ。
「凜ちゃんが聴きたい音楽全部教えてごらん。全部あまねに落とし込むから」

凛はうんと頷くとすっと立ち上がって、ホワイトボードのペンのキャップを開けると、ものすごい勢いで片っ端から走り書きをし始めた。クラシックの数々、渋いジャズ、最近はやりのJ-POP 、名画のエンドロール曲、雨の音、雷鳴、靴の音、風鈴、木が風に揺れる音、落ち葉を踏んだ音、バスケットボールが体育館の床に打ち付けられる音、料理の音、猫のごろごろ音、そしてホワイトボードの一番最後に書いたのは「あまねの歌声」だった。
『あまね、休憩中いっつも何か歌ってるでしょ?あなたの歌が聴きたいよ』顔の近くで右手でピースサインを作り、ギザギザに斜め上に移動させる。「歌う」のジェスチャー。

一度やる気スイッチの入ったあまねの集中力はそれはそれは素晴らしく、控えめに言って神がかっているといっても過言ではなかった。音声データの落とし込みは最高速度で飲み込まれていくし、入り組んだ曲も自然音もデジタル音も寸分狂わぬ正確な音でもって再生が可能だった。どこからか聴こえた音楽に導かれて松山工業の社員が入れ替わり立ち代わり研究室を覗きに来てはあまねに盛大な拍手を送っていた。

えへへ、と凛の後ろに隠れては
「凛さんのおかげであまねはもっともっと音楽が好きになりました」
と照れながら言うので、やっぱりあまね見てると和むわあ、とパートのお姉さんたちをメロメロにしていた。
「よしよしテスト再生はバッチリ。じゃあここからが本番」
わたしはあまねのおでこを凛のおでこにぴったりとくっつけるように指示を出した。
「あまね、プレイリストに保存した音楽を再生して」
「はい。骨伝導システムで凜さんの大好きな音楽を爆音で再生します」

凛が目をつむる、あまねの背中に両手を回す。しばらくして彼女がリズムを取り始めるのが分かった。あまねも同じように体を揺らす。わたしには聞こえないけれど、クラシックが、ジャズが、J-popが、映画音楽があまね伝いで凛に爆音で次々と流れるはずだ。もちろん、一番最後にあまねの歌声も入っている。
あまねに落とし込んだ音楽は2時間弱ある。大人はちょっと休憩、休憩。ほっと一息つくため、わたしは部屋を後にした。

「木村さん、納期間に合いそうでしょ?」
食堂で缶コーヒーを飲んでいると斉藤さんから声をかけられた。
「お疲れ様です。斉藤さんの仰せの通りで何とかなりました。でも今回は結構厳しかったですよ」
「いいのよ、多少強引でも結果オーライの世界だから。そうそう、この間のサイン返して」
多少? 多少じゃないですよ、めちゃくちゃでしたよと言いながら、財布にしまっていた名刺を返納する。なんかあったら責任取ります、の名刺。
「でもほんと、木村さんには感謝してる。あんなに活き活きしている凛見るの久しぶりだったからね。あまねと一緒に凛のこと見てくれてありがとう」
深々と頭を下げる斉藤さんを見て、あまねの素直さは斉藤さんから来ているのかもしれない、と妙に納得できた。
食堂の窓からは茶虎の親子がゆったりゆったり歩いている様子が見える。子猫が親猫にすり寄ると親猫が子猫を舐めてやっていた。その時、ふわりと風が吹いて薄ピンク色の桜の花びらが空に舞った。

わたしは、もう一度思う。完璧な仕事は美しい音楽の進行に似ている。
そしてその音楽は定型通りにいかないことが往々にしてある。予想外、規格外、イレギュラー、そういったもの含めて、最終的には全部想定内として収めてやる。そういうの、かっこいいでしょう?
腕時計に目をやる。あまねの音楽が鳴り終わるまであと残り1時間。そういえば最近は仕事に忙殺されていて好きな音楽も全然聴けてなかった。凛と同じように、大好きなボーカロイド音楽を爆音で聴いて音の世界に浸ってみるのも悪くない。

(おしまい)



「ゆびの音、骨の音(ゆびのね、ほねのね)」
あとがきにかえて。

「ら、のはなし」ラストは、ぱぐねこさん×『あまねく光を未来に捧ぐ』でした。ぱぐねこさん、ご参加ありがとうございます。そして完成まで大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。

原作はこちら『あまねく光を未来に捧ぐ』


「あまねの音声素子を小学生の声をサンプリングして合成した技術者。アラサー木村さん」という設定を頂き、わたしなりの解釈を加えてAI技術に音声を割り当てる技術者として書かせて頂きました。
ぱぐねこさんのnoteではお仕事に関する記事と、音楽に関する記事を多く見られました。役職や国境を越えてのコミュニケーションを重んじているのだろうな、と。
このストーリーでは「コミュニケーション」と「音楽」をキーワードに難聴である凛と不完全なあまねがコミュニケーションを取っていくことでお互いを補っていく一場面を描いたものです。
「ら、のはなし」であまねを取り上げたのは2回目となります。それぞれを独立したアナザーストーリーとして読んでいただけると嬉しいです。

〈制作ノート〉
いつも殴り書きですみません。

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「私の愛しい子どもたち」とだいたい同じ時間軸です。ハヤテが登場しないバージョン。

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影。
いくつかの案を考えボツにしてます。木村さんがピアノ弾いて、凛が歌詞を考え、あまねが歌うとか。あ!……すいません「あまねとカラオケに行きたい」のご希望が反映されていません……ごめんなさい。

気に入った! と思って頂けたら投げ銭頂けると喜びます。
ぱぐねこさん、改めて「ら、のはなし」企画にご参加頂きありがとうございます。またあまねのお話を書くことができて、とても幸せでした。

「ら、のはなし」第2弾はこれにて終了致します。ご参加頂いた岩代ゆいさん、舞茸らぴさん、城戸圭一郎さん、ぱぐねこさん、そして作品をお読みいただいた皆様に深く感謝致します。ありがとうございました。

【ら、のはなし】

岩代ゆいさん×『夏色』


城戸圭一郎さん×『あまねく光を未来に捧ぐ』

舞茸らぴさん×『赤鬼、吠え』

#ぱぐねこさん #ら 、のはなし #小説   #「ら、のはなし」はあいみょんリスペクト



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