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おまけ小説『スーパーハムの夜』

4日間に渡り『夏の背骨』シリーズの再掲をお送り致しました。お読みくださった皆様、ありがとうございます。

最後は一度は掲載したけれども下書きに戻した小説『スーパーハムの夜』を再掲載致します。おまけ的な。男女関係はいつも面倒です。ミスチルリスペクト。

それではよい夏を。


スーパーハムの夜

「セックスの後のみりんがうまい」と言ったのは室井佑月だけど、私ならコトが終わったあとにはしょっぱいものを口にしたくなる。

たとえば、とんでもなく塩分多めで何の肉かわからない体に悪そうなスパムとか。

「九条さん、なんでもいいからなんか夜食食べません?コンビニとかで買うのでもいいし」

シングルベッド、私の隣で全裸の仰向けになり額の汗を拭った矢代くんは、エアコンのリモコンを片手でいじって温度を24度まで下げながら懇願した。ちょっと、下げすぎ!彼からリモコンを奪い取りボタンを2回押して26度まで上げる。26度でも寒いくらいなのに。

「矢代くんさっきまで飲み屋でめちゃくちゃ食べてたのにまたお腹減ったの?」

ごろ寝している彼のぺったんこの腹を撫でながら言う。
最近の男子は全体的に体の線が細っこいのは気のせいじゃないと思う。矢代くんもご多分にもれずシュッとした体型で、太ももあたりは私の方が太いのではないかとまじまじと見比べてしまう。

「俺、飲み屋でめちゃくちゃ飲んでたじゃないですか。だから気持ち悪くなって九条さんちのトイレでさっきおもくそ吐いたんすよ、そしたらすっきりしてお腹減っ……」

「なにそれ、ひとんちのトイレで吐くのとか本当やめてくんない?聞かなきゃよかった」

彼のこんがり焼けた肩を手のひらで軽くぱちんとはたくと、すいません、なんか悲しくてやけ酒しちゃって飲みすぎましたといつもになくしょんぼりする。
彼は私に背を向けて丸くなった。背骨が綺麗なカーブを描く。私は二本指でヒト型をつくり、彼の背骨に沿って一段一段降りていった。くすぐったいすよ、言われてもやめない。

矢代くんを凹ませている理由ははっきりとわかっている。

「やけ酒って二宮のことでしょ?」
「あ、はい」
「サカナクションのあれ?」
「あ、そうです」
「二宮はなんつーかビョーキだからさ、しょうがないよ」
「そうなんでしょうか。俺、わりと仲良い方だと思うんですけど可能性ないんでしょうか」
「正直わからん。けど、しょぼくれてほかの女を抱いてるうちは可能性ないかもよ」

矢代くんがぱたんとこっち側に向き直ってすみませんともう一度謝る。謝んないでよ、こっちまで悲しくなるでしょ。軽くデコピン。

矢代くんが二宮に好意があったのはもう半年前から知っていた。私と二宮は同期で何ヶ月か共に過ごすうちに彼女の性的な倫理観が一般的なソレとは大幅に異なることを知った。

だって彼氏がいるのにほかの男とふつーに寝るとか頭おかしいとしか私は思えない。
だけど、彼氏はいないにしても矢代くんに想われてもいないのにやすやすと寝てしまう私も多少はおかしいから、あまり二宮のことを悪く言える立場ではない。

二宮は特に顔立ちが良い訳ではないのにやたらと男からモテる。万年モテ期。
彼女は目の錯覚を利用した化粧をして、豊かな顔の表情筋とやわらかな音声表現を駆使して、また計算しつくされた身体の動きによって狙った獲物を確実に仕留めにかかる。
それが二宮という女の本性だ。当然女子社員からは嫌われている。感じ悪い、けつが軽い、なんかムカつく。

会社の昼休憩中に矢代くんから二宮を好きだと打ち明けられたとき、彼女のいいところを訊ねてみたことがあった。

「ミヤさんのいいところは、なかなか俺に振り向いてくれないところです」

そうはにかみながら答えた彼に、ばかだなあという言葉が最初に浮き上がって、ばかで可愛いなあと続けて胸の中に言葉が浮上した。
ばかで、一途でかわいいなあ。それ二宮のいいとこでもなんでもないじゃん。

その一途な彼が二宮にサカナクションのボーカル似の新しい彼氏ができて、心のざわつきが収まらず、ただの勢いで好きでもない私と寝て、彼が賢者モードに入った今、後悔より先に腹を減らしている。ぐう、腹の虫のなる音が聞こえた。
ムシャクシャしてヤった。悪気はなかった。
ばかすぎて、笑えてくる。
私はおろかな矢代くんがこんなにもすきなのに。
私たちの関係が一方通行の連続で笑えてくる。

だけれども私はもう大人だからすべての恋が綺麗に片付くはずはないと踏んでいるし、ただの勢いの結果で抱かれただけだとしてもそう簡単に傷ついたりしない。もういろいろ知った大人だから。

「矢代くん、スパムおにぎりは好きかね」

彼のちいさいお尻をペチペチ叩いてからよっこらと彼をまたいでベッドの下のパンツを履く。
いつかのための上等のレースのパンツとブラのセットだったんだけど、たいしてなんの鑑賞もされずにはずされてしまったものよ。二人で飲みたいと矢代くんに誘われて、淡い期待を抱いて一張羅をつけていったのに、こんなもんだよね。

「スパムおにぎり?……まあふつうに好きですよ」

むにゃむにゃと彼が返答する。
黒のキャミソールだけ下着の上に着て、キッチンの戸棚を開けてスパムの重たい缶を取り出す。アルミの蓋をえいやと開けて、スパムの縁に包丁の刃先を入れ、缶の縁に沿って包丁を前後させた。

「九条さん、はっきり教えて欲しいんですけど」
「なあに」

矢代くんが起き上がってボクサーパンツに足を通す。ボクサーってパンツのなかで1番かっこいいけど、中が蒸れるんだよな。お風呂はいらないでするときはボクサーはやっぱりいやだななんてことを思い出しながら包丁を抜き、まな板の上でスパムの缶をひっくり返して缶を上下させる。
出てこい謎の肉。

「俺、セックスうまかったですか」

は?一瞬時間が止まった。セックスうまかったかって?
10回缶を上下したところで重みが下に伝わる瞬間があり、とすっ、ピンク色をした肉の塊がまな板の上に落下した。
しばしの無言の状態で1.5センチくらいに切ったスパムふた切れを熱したフライパンのうえに置く。

「セックスの上手い下手ってさ、相手のことをどれだけ好きかでも気持ち変わるしさ、いわゆる補正ってやつね、そうじゃなくて繰り返しすることで相手のいいところがわかってくることもあるから一概に一回で上手い下手はわからないよ」

あっ、これは求められている回答ではないかもと気づいたときには矢代くんがしなしなしょぼしょぼの泣きそうな顔にみるみる変化していった。

「待って、今の解説は、なんていうか一般論っていうか。矢代くんは全然下手じゃないよ」
「じゃあ上手い?」
「ふつう」
「……ふつうかあ」

私は嘘つくの、あんまり上手になれないなあ。こんなとき二宮ならどんなに下手くそでも相手を立てるようなことを答えるんだろう。私にはまだそれができない。

想像よりも獲得点数が低かったためか肩を落とした彼に、でももう一回してみたいと思ったよと声をかければ、そうすか?ああ俺なんかすごい最低なことしてる気分ですと改めて呟く。
フローリングに落ちているジーパンと、ライブTシャツを着て、俺ミヤさんのこと全然悪く言えないやと鼻をすんすんさせながら言う。

そんな彼を真面目で、やっぱりばかで愛おしいなあといっそう可愛く思える。
二宮はちょっと別物だから置いておくにしても、人間一度や二度の不良行為は生きてくうえでの味になるとは思わないかい?深みというか。

先ほどの行為を改めて思い出すと、矢代くんは最初から最後まで割れ物を扱うように丁寧丁寧丁寧に私を抱いてくれた。じゃあそれって上手いってことじゃないの?って思うでしょう?
彼に抱かれてるとき、彼は私のことをまったく見てくれなかったんだ。
目をかたくなにつむって、どこかのあの人を想像して、私の中に入っていた。
これはかなりの減点ポイント。私の中に二宮を探した。これはセックスにおいて、わりと罪である。けっこうな罪である。

スパムの油が弾けてパチパチと音が鳴り、こちらの世界に意識が引き戻された。

「矢代くん、悪いけどそこのプラスティックのカゴの中に入ってるサトウのご飯を1パック、レンチンしてくれる?」

はーいと素直な返事が来て、サトウのごはんの端っこを開けてレンジに入れる。オン。

「あれ、九条さんは食べないの?」
「私はゲロってないから満腹なの」

その時矢代くんが一瞬目を丸くして、俺のために作ってくれてるの?そのどでかい缶詰開けて……と何か感心したようにぼそぼそ言う。

そうだよ、あなたのためだけに作っているんだよ。今まであなたのためだけに、をどれだけしたか気づいてないでしょう?教えるつもりもないけれど。

あなたのために、二宮との飲み会のセッティングをした。あなたのためにあなたが二宮と同じチームになるように裏で工作した。
あなたのためにあなたがしたミスを私が全力でカバーした。

一途でばかな矢代くんのため。
一厘でも私のためにはなっているかはわからない。でも私は二宮と違って、欲しいものは欲しいと強奪する女ではない。今回だって棚ぼたでしかない。待つぐらいしかできない女。でもそれでいい。ほんとうにそれでいい?ほんとうはどうしたい?

レンジの温めが完了した音がして、庫内からレトルトパックを取り出してラップを広げ、俵形のおにぎりを2つ握る。その上に先ほど焼いた香ばしいスパムを乗せ、キッチンばさみで細長く切った海苔を巻いて皿の上に乗せる。はい、スパムおにぎりの完成。

ラグの上に腰を下ろした矢代くんは申し訳ないですと口にしてから両手を合わせていただきますと言った。
ねえ矢代くん、ごめんよりありがとうのがうれしいけどなと言えばはっとした顔をして、それからうんと静かに頷いた。
「九条さんありがとうございます。ご飯も、俺のこと抱いてくれたことも」

スパムおにぎりの半分くらいを一度に口に入れた矢代くんが咀嚼して嚥下したあと
「わ!うまい!けど、スパムってなんか背徳感すごくないですか?なんの肉だろうとか、カロリーどれくらい?とか塩分やばくねえか?とか!頭の中が疑問でいっぱいです……でも、うまい」

夢中で謎の肉を貪る矢代くんがますます愚かで愛しく思える。あなたの空腹を満たしたい。そうか、矢代くんの良さは母性本能をくすぐってくるところだ。

「背徳感も気持ち良さの補正のひとつだよねえ、また駄目なこと一緒にしようよ」

彼の細い腕に頭をくっつけてできる限りの甘ったるい声を出してみた。二宮みたいな甘い声。
私にできるか、彼女の真似をできるか、落とすための動作を意図的にできるか。
できるかな、じゃないんだよやるんだよ。わたしの内部で「駄目な人パート」の声がする。
二宮から彼を根こそぎ奪い取ってやるんだよ。

試しに自分から夜釣りの釣り糸を投げてみてもいいかもしれない、二宮がいつもやっているナイトフッシッシングを今日は私が真似してやろうじゃないか。

「スパムおにぎり一口ちょうだい」

そう甘ったるくねだれば、彼は指でつまんだそれを私の口まで形が崩れないように慎重に運んでくれた。かみ潰すと舌のうえに塩辛い肉の味が広がる。

セックスのあとのスパムは、甘美でうまい。


#小説 #一回載せて下書きに戻したやつ


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