見出し画像

「空白」のセンチメンタルトレイン

「語ったら、負け」

どこか、”良識派”の中にはこう言いたそうな空気がある。昨今の政治のあれこれに対するものにも似ているかもしれない。

でも、どうにもこうにもモヤモヤが晴れないので、モヤモヤをモヤモヤのまま、書いておこうかと思う。

6月16日のナゴヤドームでも実際に彼女の姿を観ていたし、翌日の同じ場所で握手に出てきて引っ込む前の彼女の姿も、推しの岡田美紅レーンの横でよく見ることができていた。

これは僕の周りには比較的多いはずのSKE推しも声としてはあまり聴こえてこないのが不思議なんだが、やっぱりあの2日間の松井珠理奈はおかしかったと僕は思う。

総選挙で同じグループの仲間が呼ばれる際にはかならずハグに行っていたし、翌日の握手会では、ファンを前に1位のマントとトロフィーで喜びを表現させていた。

一方で、昼間のコンサートでは脈絡もなく涙を流してしまったり、倒れてしまうなど、明らかに心身不安定だった。

僕もそっち方面の病歴があるのでわかるのだけれど、たとえるなら、徹夜を1ヶ月くらい続けたときのようなノリなんだと思う。ハイだから調子がよいように振る舞うのだけれど、実際には細かい判断を行き届かせることは難しいし、身体にはどう考えてもガタが来ている状態だ。

あの姿を「元気だったじゃないか」というのは、僕にはできない見方である。

ネット上での彼女の態度への物議は、総選挙3位の宮脇咲良との壇上、あるいは終演後のやりとりが元になっている。

彼女は周囲を見渡そうとしているし、気配りをしようと最大限試みていたようには僕には見える。

一方で、この振る舞いをしている彼女の見え方に、自分で気づくことのできる普段の彼女なりの気配りの方まではできていなかったのが事実だと思う。

この件をきっかけに珠理奈をdisる人は、やじうま根性か、彼女以外のメンバーが1位になれなかったことへのやっかみもあるとは思うのだけれど、それを差し引いても、見ていて過剰だなと感じてしまう言動だったのは否定できない。

彼女をかばいたい側に立ちたいとは思うものの、ネガティブなリアクションが返ってきてもおかしくはないと思うのが、僕の立場だ。

かくかくしかじかこんな感じで、いろんな渦に巻き込まれながら、松井珠理奈はこの総選挙後すぐに休養に入った。

日本側のエースとして期待されていた韓国とのコラボプロジェクト『PRODUCE48』も途中から断念となり、ナゴヤドームで初披露だったSKE48のセンター返り咲き10周年シングル『いきなりパンチライン』のプロモーションも不在だった。

そして、彼女と彼女を支えるヲタクたちが勝ち取った念願の総選挙1位のシングルも、すべてのプロモーション・クリエイティブへの不参加が決まった。(復帰後に何かしらの形での制作を行うことが発表されている)

最近解禁された、1位曲『センチメンタルトレイン』も、彼女の不在を大きなネタとして取り込んで、「未完成品」として発表されている。

このMVはクリエイティブとして非常に完成度が高いと思うし、たとえば須田亜香里や宮脇咲良の表情はとってもいいと思うのだけれど、どうにもこうにも違和感がぬぐえない。

「不在」が中心にあるからだ。

AKB48グループは、結成当初から多くの人数が参加していて、この人数の多さと多様性をシステムの特徴としてどんどんメンバーを入れ替えながら大きくなっている。

「アンダー」の仕組みなんてまさにそうだと思う。何千曲もあるレパートリーも、たいがいは交代可能なもので、それによって曲の読み替えを楽しんだりするのも48ヲタクの流儀の1つだ。

ところが、さすがに「特定の個を推したい」となる、選抜総選挙、しかも頂点になる1位のメンバーの場合は事情が変わってくる。単純ににアンダーシステムを適用すればいいとはしにくい。

ここで、曲披露の際にはスライドで2位のメンバーをセンターに持ってくることも考えられたとは思う。下馬評を覆しての大躍進だし、同じSKEのメンバーである須田が真ん中に立ったっていい。そのほうが珠理奈を必要以上に持ち上げることもなく、復帰もしやすいはずだ。

それでも、運営サイドはセンターを「空白」として置くことを選んだ。

これをドラマ化してプロモーションしていく流れになっている。音楽番組、ミュージックビデオ、ジャケット、すべてが彼女の不在を印象的に使ったものだ。

きっと僕がAKSやキングレコードの担当であってもこの手法を使うことになるのだろうとは思うのだけど、どうにもこうにも乗り切れない。

このやり方を選んだことで、珠理奈や珠理奈推しに対してのリスペクトを表明できるだろうし、実際に受け手側としてもないがしろにしているとは決して思わない。でも、どうしても乗り切れないのだ。

「不在」を意識させるぶん、どうしても罪悪感を背負ってしまう。

彼女が「不在」になってしまったのは、彼女とマネジメント側の体調管理が原因だ、ということもできるとは思う。ただ、何度かこうした体調不良を乗り越えて数年前に比べればだいぶSKEファンの前に立つ機会も増えてきていたところ。満を持してというこの晴れ舞台で追い込んでしまったのは、僕らヲタク含めたこの総選挙や、48グループというアイドルプロジェクトの業なんじゃないか。そう思ってしまうのである。

SKE48が結成・デビューして10周年、地元ナゴヤドームでの開票、昨年までの絶対的な先輩の不出馬による1位を取らなくてはいけないというプレッシャー。これが実際にどのくらいの大きさだったのか、重さだったのか、僕には到底わからない。

ただでさえ、ヲタク側であってもこのイベントは苦しいものが多い。お財布や口座の中身はもちろん、リソースを調整・調達するための時間と労力、連帯感を作るためのコミュニケーション、、単純に金だけ払ってるわけではない。イベント後には多かれ少なかれ、疲労がどっとくる。他界するヲタクだっている。

そこまでして、あらゆるものを懸けていったものの最終ゴールが、「空白」なのだとしたら、気持ちのやり場がなくなってしまうじゃないか。

それでも、彼女が勝ち取った「名古屋での、初めての、1位」をちゃんと受け止めたい。そんな気持ちはある。

でも、あのある種わかりやすく演出されたシンボリックな「空白」のドラマに陶酔できる気もしない。

話を単純化して、「○○が悪い」とか、やれメンヘラだとか、逆にそれに対する怒りにエネルギーを換えられる人がうらやましい。

この行き場のない気持ちをそんなに元気なエネルギーに換えられるのなら、ぜひ方法を教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?