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13.コンクリート製アーチ橋への道ー京都七条大橋ー


鉄筋コンクリ―トの発明と橋への適用

 ローマ時代の技術者が石灰せっかい岩を砕き焼いて創ったセメントに砂と水を混ぜてモルタルとし、このモルタルにポッゾラーナ(ナポリ近郊のポッツォリに産する良質の火山灰)を加えると硬度と水密性が良くなることを発見した。

 ローマでは、それに砂利を混ぜたものをオプス・カエメンティキウム(Opus caementicium)と呼び、道路・水路・浴場の建設に利用した。現在のコンクリートの起源である。実際に、コンクリート橋も架橋されているが、その外面は煉瓦れんがや切り石で装飾された。

 本格的にコンクリートが構造物の建設に使用されるのは、近代になってからである。石材が不足していた欧州で、18~19世紀に現代のセメントと同じ「ポルトランドセメント」が発明された。施工期間が短いため急速に普及し、石造り構造物へのコンクリートの適用が進められた。

 橋梁へのコンクリート適用が進むのは、フランスのジョセフ・モニエ(Joseph Monier)らによる鉄筋コンクリート(RC:Reinforced Concrete)の適用に始まる。コンクリートの弱点である引張強さを、鉄筋で補強した複合材の発明が、次世代橋梁の開発をリードした。

 1875年にはモニエの設計で、シャズレ城 (Château de Chazelet) の堀に世界初となるスパン:16.5m、全幅:4mの鉄筋コンクリート製の歩道橋が架けられた。その後、20世紀に入り欧米を中心にRCアーチ橋が数多く架けられた。

日本における鉄筋コンクリート橋の導入ー日ノ岡第11号橋ー

 日本では1875年(明治8年)5月に、東京府下深川清住町(現在の江東区清澄1丁目付近)の工部省製作寮深川製作寮出張所で、宇都宮三郎らがポルトランドセメントの国産化に成功した。

 その後、1903年(明治36年)7月、琵琶湖疎水工事を担当した田辺朔郎らの設計により、琵琶湖疎水(第1疎水)の 第3トンネルの東口付近に、日ノ岡第11号橋、橋長:7.28m、全幅:1.5mのRC製孤形桁橋がメラン工法により架けられた。当初、柵はなくて欧米技術の試験的導入であった。

 メラン工法は鋼製アーチをあらかじめ架設しておき、これをコンクリートで巻き立てるもので、トロッコレールが鉄骨として用いられた。橋脇には、本邦最初鉄筋混凝土コンクリート橋」の碑が立てられている。

 日ノ岡第11号橋の実績に基づき、1904年(明治37年)、第2トンネルの東口に日ノ岡第10号橋(黒岩橋、大岩橋、山ノ谷橋の呼び名がある)がある。橋長:12.6m、全幅:2mと小さいが本格的なRC製孤形アーチ橋で、田辺朔郎らの設計でメラン工法により架けられた。

写真1 鉄筋コンクリート製の日ノ岡第11号橋(左)と黒岩橋(右) 出典:セメント協会

鉄筋コンクリート製アーチ橋ー京都の七条しちじょう大橋ー

 1908年(明治41年)より始まった京都市三大事業 (第2琵琶湖疎水、上水道設置、道路拡幅による市街電車運行)の一環で、四条大橋と七条大橋の架け替えが行われた。 

 京都の近代化を代表する一つとして、欧米風の鉄筋コンクリート・アーチ橋が選ばれ、1911年(明治44年)10月に起工され、1913年(大正2年)3月 と4月 にそれぞれ竣工した 。

 四条大橋は1935年(昭和10年)6月の大出水で付近一帯の大浸水の原因となり、1941年(昭和16年)に撤去、川幅が拡張されて鋼板桁橋に架け替えられた。そのため当時の姿を残すのは七条大橋のみである。
 橋長:112.17m、全幅:18.3m、スパン:14.88mの、重厚な6連RC閉側鉄筋コンクリート製の扁平アーチ橋である。

 メラン工法による日ノ岡第11号橋の架橋から、わずか10年後に架け替えられた長大な七条大橋では、固定支保工しこほう式架設工法が使われた。橋を架ける場所に支保工と型枠を組み、鉄筋を組んでコンクリートを流し込む。1日のコンクリート供給能力が限られるため分割打設が行われた。

写真3 鴨川に架かる七条大橋 出典:土木学会関西支部 

さらなる長大化をめざす鉄筋コンクリート橋

 鉄筋コンクリート(RC)の橋桁は重量が重く、さらなる長大化をめざすためには鉄筋コンクリートの引張強さの向上が必要とされた。

 1928年、フランスのユージェーヌ・フレシネ(en:Eugène Freyssinet)がプレストレス・コンクリート(PC:Prestressed Concrete)を発明したことで、鉄筋コンクリートの適用が飛躍的に拡大し、現在に至っている。
 PCとは、引張強さに優れた鋼棒を使い、圧縮に強いコンクリートに事前に圧縮力を加えた複合材である。圧縮分だけ引張強さが高くなるため、設計の自由度が増し、次世代橋梁の開発をリードした。

 世界初のプレストレス・コンクリート(PC)橋は、1936 年に建造されたドイツ・ドレスデンのアウエ橋(Aue bridge)である。  
 初期には、鋼材をコンクリートの外部に設置する外ケーブル工法が採用されたが、その後、内ケーブル工法により工場で製造されたPC橋桁を、橋脚に架ける桁橋(プレートガーダー橋)への採用が進められた。

 PCの開発は、架設工法のイノベーションを引き出した。支保工と型枠を一体化した移動支保工式架設工法では、長大橋の1スパンごとの製造を可能とした。現地にPC製造ヤードを設ける押出し架設工法では、橋脚から橋脚へとPC橋桁を押し出し、交通を妨げることなく架設できる。
 また、PC橋では橋桁と橋床を一体化した箱桁を製造できるため、高速道路の高架橋に採用されている。

 その後、PCはアーチ橋以外のトラス橋ラーメン橋斜張橋などに採用され、長大橋の実現に威力を発揮している。
 1964年にオーストラリアのシドニー近郊のパラマッタ川に架けられたグラデスビル橋(Gradesville bridge)は、橋長:305m、全幅:22m、高さ:40.7mのPC製扁平単アーチ橋である。工場で製造されたPC製の中空楔形石(ブーソア)を、現地で積み重ねてアーチ橋を架橋した。

 以上のように、いにしえ石橋コンクリート➡鉄筋コンクリート(RC)➡プレストレス・コンクリート(PC)と高強度の構造材料の発明により、急速な進化(長尺化)を遂げたのである。



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