見出し画像

健陟に乗ったブッダと、僕。



特に内容のない記事ですが、誕生日なのでお許しください。

本日をもちまして、29歳になりました。



画像1


Facebookの投稿を見返してみると、どうやら28歳の僕は、

"汚い中華屋のレバニラ"と"焦り"から始まったようで、そんな28歳の日々が昨日で終わりを告げました。


<28歳ざっくり振り返り>

▼レバニラの味はもう覚えていない
▼思うところあってTwitterを再開した
▼やたら中目黒オフィス(LITALICO)にもいた
TeachForJapanのチャリティランナーとして東京マラソンを走って死ぬかと思った
こたえのない学校Learning Creator's Labや、Educators Seekingを通して学校の先生方と多く学ばせていただいた
▼理論と実践を学び直したく、青山学院大学ワークショップデザイナー育成講座に通った
▼お声がけいただきやたら島根県津和野町にいた
▼お声がけいただきイベントに登壇させていただく機会が多かった
▼お声がけいただき(学生さん、先生方、企業等に)研修をさせていただく機会が多かった
▼お声がけいただきやたらワークショップをつくらせていただく機会が多かった
▼お声がけいただきファシリテートをさせていただく機会が多かった
▼お声がけいただき(小〜大学生へ)授業をさせていただく機会が多かった
▼思う所ありコーチングをCTIで本格的に学び、個人からのコーチング依頼を受けるようになった
▼ある時山梨県の山奥にこもった
ある書籍で名指しでいじられた
▼夜はやたらキュウリをかじった
▼やたら教育、教育と言っていた
▼27歳より多く、個人の名前でお仕事をいただくようになった
▼北海道、青森、岩手、宮城、群馬、静岡、愛知、京都、奈良、大阪、、、(略)やたらと色んな場所へ行った
▼やたらと多くの、やたらと素敵な方々にお会いする機会が多かった
▼悔しい事も、自分の選択が情けなくなる事も3万回ぐらいあったが、結果多くの方、大切な人たちに支えられてなんとかやってこれた1年だった


29歳といえば、ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)が「私は何のために生まれてきたのか?」を問い、健陟(カンタカ)という白馬に乗って出家をしたことで有名ですが、

29歳のアッキー(木村)は、28歳と同様「私は何のために生まれてきたのか?」を問い続けながら、とりあえず行動していく所存です。何に乗って何処へ向かうのかはまだ曖昧ですが。

こんな僕に声をかけて下さる方々や、依頼を下さる方々、いつもいつも見えているところ、見えないところで支え励まし応援して下さる皆様への感謝の気持ちを忘れずに、

今以上にがむしゃらに走りきる1年にしたく思います。


現時点での僕の"行動理念"は、

『人は生涯発達し続ける』


現時点での僕の"ビジョン"は、

『子どもからおとなまでが、その人によって
より良く変容できる機会に溢れた社会をつくる』

というところにあります。

そんな理念やビジョンを元に、29歳はどんな"ミッション"を掲げて生きていくのか、温かく見守っていただければ幸いです。

28歳の1年間ではお会い出来なかった皆様も、お会いし沢山お世話になった皆様も、29歳にお会いするであろう皆様も、

どうぞ引き続きよろしくお願い申し上げます。




28歳で感じた"焦り"は継続して持ちつつ、"今年こそは書く1年にしよう"と心に決め、寝起きの顔で、新大阪のホテルのベットの上から。

2019年11月30日 木村彰宏



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?