木村彰宏

震災復興支援NPO→公立小学校(TFJ)→株式会社LITALICO→株式会社Coach…

木村彰宏

震災復興支援NPO→公立小学校(TFJ)→株式会社LITALICO→株式会社CoachEd→学校法人軽井沢風越学園→株式会社MIMIGURI/人や組織の変容に関するお仕事あれこれ/プロコーチ(PCC/CPCC®)/公認心理師/キャリアコンサルタント

最近の記事

木村、『人と組織の経営コンサルティングファーム』へジョインするってよ。

タイトルの通り、2024年4月1日より、「人と組織の経営コンサルティングファーム」株式会社MIMIGURIへ参画することになりました。 自分が20歳の時に発生した東日本大震災の復興支援NPOへ就職したところからスタートした自身のキャリアは、公立小学校(NPO法人TeachForJapanより派遣)、株式会社LITALICO、株式会社コーチェット、そして学校法人軽井沢風越学園と歩みを進め、こんなところへ辿り着きました。 節目のタイミングで改めて振り返ってみると、様々な事象や

    • 木村、『学校』辞めるってよ。

      タイトルの通り、2024年3月31日をもちまして、軽井沢風越学園を卒業することにしました。 (辞めることを伝えた上で、残りの時間を大切に過ごしたかったので)2024年が始まってすぐに、自分が今年メインで関わっている3・4年生の子どもたちや、3・4年生の保護者の皆様には、この選択をお伝えしました。 また、その他の保護者の皆様には、2月1日付でご報告しましたので、学校関係者以外のお世話になっている皆様にもこの決断をお伝えしたくこの文章を書きました。 関わっている子どもたちか

      • 『学生100人無料コーチング』を始めます。(締め切りました)

        大学生の皆さま、はじめまして。木村彰宏と申します。 現在は学校で働く傍ら、経営者の方々やビジネスに関わっていらっしゃる方々、教育関係者の方々や主婦の方々などにコーチングをさせていただいたり、組織やコミュニティにおいてファシリテーションをさせていただいたりしています。 自分が何者か、しっかりとした自己紹介の記事は書いた事がないのですが、以下の二つの記事などをお読みいただけると、何をしている人間かが少しご理解いただけるかと思います。 さて、これまでの仕事柄や活動柄、大学生の

        • 【僕の夏休みと現在地、僕を構成している愛すべきDNAについて】

          「あの吉田松陰や勝海舟のお師匠様でもある佐久間象山が、どんな場所で生まれてどのように育ち、何を想い、どう生きていたのかを知りたい。」 そんな思いに駆られ、帰省もできないご時世、せめて現在住んでいる長野県と自分の出身である京都府に縁ある佐久間象山を探究しようと、誰にも会わない外食をしないを徹底した上で、長野県を一人車で旅した夏休み。(ヘッダーの写真は一人旅とは別に、少し前にリトリートで訪れた白馬村にて撮影。) (写真は長野市松代町にある象山神社) 佐久間象山探究の道中、幕

        木村、『人と組織の経営コンサルティングファーム』へジョインするってよ。

          コーチングを受けてみたい方へ

          コーチングを受けたい方募集します 皆さまこんにちは。木村彰宏と申します。 2024年3月末までは、学校法人軽井沢風越学園という学校で働きながら、個人でプロコーチ(国際コーチング連盟認定プロフェショナル・サーティファイド・コーチ(PCC) /米国CTI認定プロフェッショナル・コアークティブ・コーチ(CPCC®))として活動しています。コーチとしてのこれまでの伴走時間は、1800時間ほどになります。 私の少し詳しいプロフィールについては、以下の2つのnoteをお読みください

          コーチングを受けてみたい方へ

          木村、 『学校』 に戻るってよ。

          5年ぶりに、『学校』という場所で働く事になりました。 2021年の4月から、5年間過ごした東京を離れて長野県軽井沢町へ引越し、開園・開校2年目を迎える学校法人軽井沢風越学園に参画させていただきます。 教師を辞め「学校の外から教育に関わる」と決めて東京へ来てからの5年間、多くのご縁をいただき、沢山の方にお会いし、気がつけば教育の分野を越えて本当に多くの貴重な経験をさせていただき、自分の中に幾つもの大切な文脈を持つ事になりました。 この大切な幾つもの文脈を、どこで誰の為に還

          木村、 『学校』 に戻るってよ。

          30代を通して、実現させていきたいコト。

          家が一軒建つ値段のピアノで1000人程の新成人の前で「君が代」を弾いたのが、僕の20代のスタートだったことを、この文章を書こうとnoteを開きながら思い出しました。(ちなみにピアノなんてもはや、 "猫ふんじゃった" でさえ弾けないのは、人生の師であるピアノの先生には内緒。) 「語呂が良い」という理由とノリだけで、 "「ハタチ」を「カタチ」に" を成人式のコンセプトにして、ひょんな事からお願いされ成人式実行委員会として活動していたのが10代のラストの記憶ですが、20代ラス

          30代を通して、実現させていきたいコト。

          30歳になる前に言葉にしておきたかった事

          「ダサい20代だったな」と思いながら、宛先がぼやけた文章を書いている。30歳になる前に、身体の外に出しておきたかったから。 今日まで生きてきた人生の中で、特に "20歳から30歳目前までの10年間" という括りで見ると、(今考えれば異常な程)数え切れないぐらいの方にお会いし、様々なカタチでお世話になり、そこから学びや成長の機会をいただき、そしてご迷惑もおかけしてきた自負がある。 そんな、僕がお世話になってきたと自覚している方々(歳上に限らず)お一人おひとりに、その当時しっ

          30歳になる前に言葉にしておきたかった事

          何の変哲もない、「LITALICOを退職しました。」の記事。

          「まだいたんかい!」という突っ込みも聞こえてきそうですが、2016年に入社し、2020年の3月で正社員を辞め、株式会社コーチェットにジョインした4月以降も非常勤という形で関わっていた株式会社LITALICOを10月末で退職いたしました。 井の中なんてもんじゃなく、壺の中の蛙ほどに視野が狭かった僕に、業務を通して本当に多くの経験をさせていただき沢山の事を学ばせていただいたLITALICO、LITALICOで出会った"ロマンとソロバン"のバランス感覚優れた社員の皆様、元社員の皆

          何の変哲もない、「LITALICOを退職しました。」の記事。

          100人、コーチングします。 (必要な方いらっしゃれば)

          新型コロナウイルス(COVID-19)の影響が、至る所で見られます。 立場上、ツイッターやFacebookメッセージで、「緊急事態宣言後の社会情勢の変化による影響で就職活動が難航している」「転職先を探しているが難航している」というメッセージをいただく数が増えてきて、心が痛みます。 また、現在問題なく勤務されている方々からも、「オンライン業務が急激に増えた事でオンライン疲れをしている」「イレギュラーな対応が続いており疲労している」という声を耳にします。 多くの方が苦しい状

          100人、コーチングします。 (必要な方いらっしゃれば)

          4月からの新しいチャレンジにつきまして

          復興支援NPO(岩手)→小学校教師(奈良)→株式会社LITALICO(東京)、その他諸々のお仕事(全国) とキャリアを歩んできた僕ですが、縁あってお声がけいただき、4月より ”すべての人が、互いを生かし、育て合う社会をつくる” を理念に掲げる「株式会社コーチェット」にジョインさせていただく事になりました。 ・幼少期から高校卒業までを過ごした地元京都亀岡での学び。 ・保、幼、小の免許を取得する為通った大学での学び。 ・大学時代に社会課題というものに興味を持ち活動

          4月からの新しいチャレンジにつきまして

          編集後記 ~「#初任者へおすすめの一冊」をお読みいただいた皆様へ~

          今回の企画を通して様々な方々を巻き込んだ手前、一旦のケジメとしてこの文章を書く事を決め、夜中にパソコンを開きました。 「新型コロナウイルスの影響で、オフラインの学習会はほとんど無くなっちゃうだろうね。4月から教壇に立つ教師の方々や、若い教師の皆様、教師を目指す学生さんに今できる事は何だろうね。」 「公教育を知り、学校と社会をつなぎ、教師と伴走する」を目的に「カタリスト for edu」というメディアを運用している高野さんと、Facebookメッセージで上記のようなやり

          編集後記 ~「#初任者へおすすめの一冊」をお読みいただいた皆様へ~

          小さい頃、正義のヒーローになりたかった

          幼稚園の年長組で行ったお遊戯会のキャスト決めで、ピーターパンへの志願者があまりに多く、 自分だってピーターパンになりたかったのだけれど、「僕がやらねば」という正義感を持ち、フック船長を志願したのを覚えている。 ちなみにそのお遊戯会は、大量のピーターパンに1人のフック船長がリンチされてハッピーエンドを迎える事になる。 どこから湧いたのか定かではない鬱陶しい程の正義感を持っていた僕は、 また違う場面で、園に持ってきてはいけないミニカーを持ってきたお友達を「ルールは絶対!

          小さい頃、正義のヒーローになりたかった

          自らのストーリーを、手放していくということ。

          幼い頃は肌がとても弱く、とにかくアトピーが酷かった。 小学校2年生の頃は枕元にTシャツを3枚ほど積み上げ、夜中に体中を掻きむしった後はシャツを着替えないと、血と体液でシャツが体にくっつく程だった。 その上、様々なストレスが原因となってか、小学校4年生の秋ごろから抜毛症になった。 noteというものを初めて書いた誕生日から数週間が過ぎ、気がつけば年末。色々と書きたいことがある中で、何を書こうかと迷いながら、今の僕が何よりも先に言葉にしておきたいと思ったのは、そんな、"僕が

          自らのストーリーを、手放していくということ。

          健陟に乗ったブッダと、僕。

          特に内容のない記事ですが、誕生日なのでお許しください。 本日をもちまして、29歳になりました。 Facebookの投稿を見返してみると、どうやら28歳の僕は、 "汚い中華屋のレバニラ"と"焦り"から始まったようで、そんな28歳の日々が昨日で終わりを告げました。 <28歳ざっくり振り返り> 29歳といえば、ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)が「私は何のために生まれてきたのか?」を問い、健陟(カンタカ)という白馬に乗って出家をしたことで有名ですが、 29歳のアッキー(木

          健陟に乗ったブッダと、僕。