23〜24へ

かなりの日数が空いての投稿となってしまいました。
会社員からフリーになってまもなく1年。
限りなく目の前が開けて見える日もあれば、突然現れる壁も感じたり、多くの初めてを経験して過ごしています。

最近感じているのは、周りに生かされている、という事実です。
これはフリーだからではなく、会社員も、そして生きている以上そうであると今なら心の底から言えます。
フリーになり、この間悩んだ挙句、
何かコッテリとした思想に踏み込んだのかと心配されそうな文章の入りになっていますが、ご心配なさらず。
(占いとか見る頻度は多くなりました。四柱推命とか。)

ただ、そう感じられるようになるのが遅かったという反省も込みで、あえて書いておきたくなったのです。
会社にいた時には受注が当たり前。降ってくるような量の仕事を、どのようにしたら発注側、自身の双方にとって心地よいものに出来るかを考えていました。それでいっぱいいっぱいになることも多く、視座が低くなり自分の感情や想いにばかり力が動いていました。

受注に繋げる立ち居振る舞い、ご挨拶から始まる現在のフリーの生活は、
会社で分担していた営業、交渉、勤務管理、経理も含め自身の作業になるのでヒューマンレベルは上がっている感覚はある一方、慣れないこと続きで目が回りそうになる”時期”もありました。
この”時期”というのもミソで、
「うっわ忙しい、なんだかいい感じ!」とハイになる時と、
「うっ…」と腹痛を起こすような、なんなら目眩もセットになる
良くない意味でプライベートが充実しすぎる時の違いがあることを指しています。

コンディションが大きく変化するわけですが、その分お仕事で関われる現場の人や、関わってくれていた人の姿、存在が、すごく有難いものに感じます。
まさに、身に染みるという感覚です。

会社員の頃にお仕事でお会いした方々との初対面は、先輩の陰に隠れてひょこっといる形が多く、なんとなくスタートしていたことが多かったです。まあいきなりガツガツいく若手も、それはそれでヒヤヒヤするでしょうが、私の場合、姿を消しすぎるタイプではあったはずです。
幅広い業種、有名な方にお会いさせていただいたものの、細かな関係性にできた方は限られた人数でした。

一方、当然ですが、この一年弱で出会った方々とは、一対一、人対人という何か生身のぶつかり合いのような形から始まりました。

そうしてご挨拶の時間をいただいても、
”うわ〜全然こっちの話響いてないぞ、これ。たぶん空回りしているんだろうな”
”気持ちが強すぎて自分ばっかり話してしまった”
”営業さんってこういうことをしてくれていたのね”

結局、慣れていないことで、一人反省会をして帰る日も多いです。

けれども応援してくれる知人、先輩は現れ、そこから派生する全く知らなかった方が突如パートナー的存在になったりしています。

私のような人間が、貴方様とお食事なんて、、
よ、よ、よろしいんですか。

と言いたくなるような出会いも、会社員の8年間に引けを取らないレベルでこの1年間ありました。

そもそも会社の肩書きを使えば今までもっとできたはず。という反省もありますが、私の場合は今だから出来てきたし、必要に迫られないとやらないものだったと思います。
良い意味での図々しさを、多少は持てるようになったとも言えるでしょう。

以前は、立場上ゆとりがあるが故、自分のあり方に選択肢が多く、
その分、できることややるべきことを見逃し、見過ごしてきたのかもしれません。

私生活の変化でも、出社がなく普段圧倒的に人に会う機会も減ったせいか、人のことが恋しくなったり、すれ違うだけで嬉しくなったりという気持ちも倍以上になりました。
そういえば、私は元来寂しがり屋です。

これまで出来ないことが多かったプライベートでの友人や後輩との繋がりが最近は増えました。
例えば飲み会の時とか、嬉しいので朝まで飲める気がしてくるのです。

そう考えると、
公私で余白がないのも苦しいし、余白がありすぎるのもだらだらしてしまうし、難しいところだなと思います。
けれども少しの余白があれば、それを埋める楽しみや日々の感じ方が、とてつもなく大きな活力にもなっていくと感じています。そのバランスについては今、とても考えさせられます。
余白(時間)がほどほどにあると、逆に衝動的な行動(私の場合、それ即ち”翌日になってお財布が空になっていることに気が付く飲み会”)がなくなりました。
そんなにたくさんしていたわけではありませんが。


学生時代から野球に打ち込み、組織に加わり、チームで動いてきた私はやはり”仲間”という言葉、存在が好きです。それは限りなく家族に近い存在だと改めて思います。今でも公私で関われている事実の一つ一つを今ではより尊く感じます。

マツコデラックスさんがテレビで
「人生で手に入れられる総量は決まっていて、何をいれて、何を出すか」
的なことを言っていたのを思い出します。恐ろしいほどおぼろげです。

あと、直近で読んだ 放送作家を辞める・鈴木おさむさんの本にも
「今は持っていない何かを手に入れたいとき、まず握りしめているものを手放さなければそれは手に入らない。(中略)そのぎゅっと閉じた手を思い切って開いて、手の中が空になったとき、その空いた手の中に本当に大切なものが自然と満たされていく」
とありました。

その大切なものについて、思い当たることもいくつか。
子どもが生まれてきてくれた。新たな人との出会いとかかな。
でも、まだわからないことがほとんどです。
これからがその変化を感じる日々だと思います。

とにかく生かされているのを感じたこの1年。
思い巡らす日々の中、スタートを応援してくださった方々に改めてお礼を伝えねばなと思っています。
そして今も手厚く関わってくださるRKBに改めて感謝しています。

思い立ってこの文章を書きました。

そういえば、鈴木おさむさんの本にはもう一つ
「思いつきはDNAからのメッセージ。」
だそうです。
多くを使いきれていないというの脳の能力が発揮されたり、ふとした時に大切な本心が見つかることが、思いつきやひらめきにはあると、本を読んで私は解釈しています。

なんだか今日はそういう日だったのだと思います。

思いつきというより、思い悩んでいるのではと感じられたかもしれませんが

コッテリした思想に踏み込む手前の佐藤から、
この一年の少し早い御礼の言葉と受け取っていただけたら幸いです。





この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?