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現代に求められることについて

大学4年生になり、社会人生活が近づいてきました。そんな中、最近痛感するのは「自分の頭で考えること」が現代社会において、いかに大切かということです。大学4年間過ごしてきて、このことが人生において最も大切であると自覚できたことを幸せに思います。まだ21年間しか生きていない者の戯言ですが、どうぞご覧ください。

どうして「自分の頭で考えること」が大切なのか、それは「自分の人生を本気で豊かにしようとしている活動の一つ」だからと考えられるためです。「人間は考える葦である」という名言がありますが、この本質的な意味の帰結はそこにあるのではないかと感じています。人は社会性の生き物で、生まれたその瞬間から一人で生きて行くことはなく、他者と関わって生きています。何より日々日常、その他者からの意見にさらされています。その中で育まれた、「常識」や「他人の考え」を無意識に受け入れてしまっており、疑問を持つことがなくなってきてしまっているのです。これが言わば「思考停止状態」ともいえる状態で、自分もこの状態に陥っていました。

このような「思考停止状態」から抜け出すには、自己認識を高めるほかないと考えています。日本人の国民性やこれまでの教育は、その機会を奪っているのではないかと感じてしまいます。「他の人を配慮して空気を読むこと」が美徳とされている日本では簡単に自分の意見の持ち、主張する環境が整っていないのではないかと感じざるを得ません。教育でも子ども自身が、資本主義社会という厳しい世界で生きて行くための教育をなされてこなかったことがうかがえます。実際に、私もどこで生きるのかどうかもわからない勉強を小学校から高校までひたすら続けてきました。

それが大学になっても続いていき、気付いたら大学4年生です。ここにあったのは、自己認識能力が激しく欠如した「思考停止状態」でありました。しかも、私に至っては「考えているつもり」の状態でした。それでも、経験の量を大学一年生から少しづつ増やしていたからこそ、その危うい状態に気付けたのです。「考えているつもり」の状態の私は長年の夢であった教師になれるのかどうか、とても不安を覚えていました。「自分の人生が一度きりである」、「時間の使い方は命の使い方である」、「誰にでも可能性がある」そのようなことを知って以来、いかに「自分の頭で考えてこなかった」かを認識しました。周囲の大学生の様子を改めて見ると、自分は本当に幸せなことに気付けたと思います。(後々お話しますが、現在の大学生は明らかに考えることを放棄している人が多いです。物事を多面的にとらえられなくなってきていると思います。)

客観視というべきでしょうか、少しだけ距離を外界から離してみることが出来るようになってきたのです。こんなに偉そうなことを言っていますが、私自身もまだまだ足りていない、そもそも考え得るだけの知識も不足している状況です。自己認識とは、内なる自己との対峙、自分にベクトルを向けることと言えます。

世界規模で混迷を極めるこの時代、そんな中でいかに人生を豊かにしていくには「自分の頭で考える」ことに本気で気づくことだと思っています。だからこそ、現代で求められていることにも直結しているのです。そのためにも、誰しもがもっと自分と向き合って思考する時間は必要ではないでしょうか。

長々と話をしてしまい申し訳ありません。二回目の投稿にしてこんな重たい内容を書くとは思いませんでした。自己の経験に基づいているにもかかわらず、抽象的なため伝わりづらい文章だと自覚しています。今日はこの辺にしておきます。

今回の意見に対して、どう思われるのか皆さんのお考えもお聞きしたいものです。感想、意見お待ちしています。


なにせよ、教育に関するテーマを中心として、何かしらの気づき、考えを挙げていこうと考えているので今後ともよろしくお願いします。


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