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私たちの「強み」はどこにあるのか?

 2週間ほど投稿を空けていました、Honestです。今回は前回の「現代に求められる生きる力」についての投稿をさせていただきました。

 今回は自分の「強み」はどこにあるのかということについて、つらつらと書いていきたいと思います。一つの考え方としてご覧になってください。

 さあ、さっそく本題へ入りましょう。自分の「強み」はどこにあるのでしょうか?考え方は様々ありますが、自分の中にあるのか、もしくは他者の中にあるのか、それともその両方なのかのいずれかに着眼していきます。皆さんはどこにあると考えていますか。

 単刀直入に言いますと、私は「自分の中に強みはある」と考えています。さらに言うと、「強みは自分の中にしか存在しておらず、自力で見つけ出すものであり自分でしか生かすことはできない」であります。

 私も最初は「他者の中にある強み」であると考えていましたが、ある一冊の本と出会ったことをきっかけとして、考え方が360度変わりました。Amazonのベストセラーにもなっている本で、読んだことがある方もいるかもしれません。『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で、目覚める!』(苫米地)という本です。もし時間があるのなら、一度読んでみることをお勧めします。今までの自分の考えていたことが、根本的に覆される発見があるかも知れません、最後にリンクを貼っておきます。

 どうしてそのように言えるのか、そこには前提として「「自分」を定義しようとしても、使える情報は全て「他者」の情報。ということは、「自分」とは「他者の情報」でできているということ」(苫米地)が挙げられるからです。私たちの身の回りにある物すべてが他者の情報から出来ているため、説明しようとしても、すべて他人の情報から得たもので成り立っています。

 なにせ人間は生まれ落ちたその瞬間から、他者との人間関係にさらされていますから、「他者によって自分の強みは作られている」、そう思うのも仕方がないことだといえます。実際に私たちは、他者の価値観を刷り込まれて生きてきたといっても過言ではありません。それを示すものとして、苫米地はこのようにも説明しています。「情報の網の目に自分を定義する「他者の点」がいろいろとある。それが「自分」つまり「自我」である」と。自分を定義しようと、数えきれない点の中から選び出しているのは自分自身でしかありません。しかしながら、その情報は相手から与えられたものであり、無意識的に自分以外の他者に価値観を刷り込まれています。

 それを示す具体的な例としては、よく世間で言われる常識というものもそれに該当します。また今のような混迷の時代に、「公務員は一定の給料が入ってくるから安定の職業だ」という理由で志願者数が跳ね上がる現象もそれにあたるでしょう。そもそも安定の職業とは何なのかもわからないのにも関わらず、そう考えてしまっています。他者の価値観を生きているというのが私たちの真の姿であるというのは、このことからもわかります。

 こんな他者の価値観で生きてしまっているせいで、「他者の中に自分の強みがある」と勘違いしてしまうのです。先ほど挙げた例に関わらず、私たちの理想としていることでさえ、誰かに刷り込みをされてしまっています。もし、あなたが消防士の訓練を目にした時、「かっこいいな」と思って消防士になりたい、「それに向けて気合入れてくぞ!」と思ったとしても、それは自分が刷り込まれた結果でしかありません。先輩の方が偉くて、後輩の方が下であるといった優劣関係、区別そのものが刷り込みでしかありません。

 自分は自分、他人は他人です。自分以外の他の誰にも生き方なんか決められないんじゃないでしょうか。では「幸せ」とはなんでしょうか?幸福度とは何でしょうか?誰がそれを決めるんでしょうか?他人の価値観で測ってしまう呪縛に囚われた人は、それを周囲の環境、他人によって与えられるものだと思い、無意識のうちに他人の価値観を刷り込まれた、偽りの自分を生きているのかもしれません。

 もし、それに気付いているけど、他人を生き続けているという人がいたら?その人は、自分自身に嘘をついて他人にそれを押し付けて自己解決してしまっているだけかもしれません、もしくはあなた自身が過去にあったことを引きずり続けているのかもしれません。それとも周囲の目を気にしているのか、他者と自分を比較して悲観しているのかもしれません。

 私はこのことに気付いてぞっとしました。間違いなく今まで他人の刷り込みに操られて生きてきたと思える節があったからです。これを知って以来、自分のオリジナルの「自分の価値」を一つでもいいからもてるようになりたい、そう強く考えるようになりました。自分と他人を分けて考えること、ここから本当の自分がスタートしたといっても過言ではありません。

以上の理由から私は「自分の中に強みはある」と考えました。皆さんはどうお考えでしょうか。とは言うものの、私も完全には他者の価値観を無くせるとは考えていません。社交性の生きもの、生きていれば必ず人間関係がまとわりついてくるため、考え方にはバランスが必要だと思います。他者からの言われたことで、自分の価値観に気付くこともありますし…。何事もほどよく、バランスよくですね。

これが私の強みに関する答えです。

全体の総括 

一度きりしかない人生、いつか死を迎える自分、そんな人生を後悔をして送らないために、「自分のやりたいことをする」それが一番ではないでしょうか。人にはそれぞれの幸せがある、それを追い求められるのは自分自身しかいない、自分から逃げてはいけない、本当の自分と向き合っていきたい、私はそんなマインドセットで生きて行くつもりです。

いかがでしたでしょうか、この問題に関しては人生を通して向きあっていきたいですよね。

想像以上に長くなってしまいまいすみません、ここまでお読みくださりありがとうございます。

参考にした書籍

『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(2014)』(苫米地英人)




 

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