子どもの頃の話。

大人になった今でこそ、人はそれぞれみため、感性さまざま違って当たり前だと思うようになったけれど、子どもの頃はそれが分からなかった。

私が保育所に通っていた頃。そこはスモッグや安全帽子は指定だったけれど、かばんは自由に、各々が好きなものを持ってきていた。

当時女の子たちがよく持っていたのは、ピカピカのエナメルのキティちゃんのバッグ。私だけは、つや消しピンクのキキララのバッグを持っていた。
だから、「ゆきちゃんのかばん変ー!」「アヤ(仮名です)のかばんは、ピカピカでかわいいー!ゆきちゃんのと違って!」と、言われることはしょっちゅうだった。
いわゆるいじめほど深刻なものではなく、子ども特有の、無邪気な言葉だったのだと思う。普通に友達はいたし、保育所は楽しかった。

でも、みんなと違うのが強烈に恥ずかしかった。
かばんだけでなく、当時私の父はビートルに乗っていて、たまに父がクルマでお迎えに来るのが嫌だった。今思えばおしゃれなクルマなのに、ずっと変な形だと思っていた。父が事故でかわいい黄色のビートルを大破させたときは、「もうあれに乗らなくていいんだ!」とほっとしたくらい。

キキララのかばんも、今思えばかわいかった。
でもそれを、みんなと違うからずっとおかしい、恥ずかしいと思っていた。
「わたしのかばんのがかわいいー!」と、無邪気に言った女の子の声は、高校生になるまで頭の中に残っていた。彼女とは小中高ずっと一緒で、仲良くはなかったけど、陰はその間ちらついていたから。

もしかしたら、誰かに「そのかばん、すっごくかわいいよ!」って、ずっと言ってほしかったのかも。
きっと、そうだと思う。
30歳になった私でよければ、いつでも言いにいくのにな。
赤エナメルのキティちゃんもかわいいかもしれないけど、自分で「これがいい!」って言ったキキララのバッグも、最高だよって。

大人になった私は、赤エナメルの靴で現れるかもしれないけれど。

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