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【シアトル的迷選手で行こう】第4回 リッチー・セクソン

野球の世界最高峰の舞台であるMLB。球界、そして時代を代表するような大スターたちが華々しく活躍し、名選手と呼ばれる裏では、世界最高峰の舞台まで辿り着くだけの才能は持ち合わせているものの、イマイチ残念な部分が抜けきれず、迷選手と呼ばれる存在もいる。そんな選手たち、特にシアトル・マリナーズ に在籍したことのある迷選手たちにスポットライトを当てていく。第4回はリッチー・セクソン。

(第3回はこちら)

プロフィール
リッチモンド・ロックウッド・セクソン(Richmond Lockwood Sexson)
1974年12月29日生、オレゴン州ポートランド出身。ポジションは一塁手。
1993年ドラフト24巡目指名でクリーブランド・インディアンズ入団
MLBでのプレーは1997-2008年の12年間

MLB屈指の長身強打者として

身長6フィート8インチ(約203.2cm)でMLB史上最も身長の高い野手としてデビューしたセクソン。現役野手で最も身長が高い選手はアーロン・ジャッジ(ニューヨーク・ヤンキース)の6フィート7インチであるが、セクソンはそれを凌ぐ高さなのである

その長身を最大限活かした規格外のパワーはMLBでもすぐに通用した。デビューから2年後の1999年にレギュラー定着を果たすと31本塁打、116打点を叩き出す活躍を見せる。その後トレードで移籍したミルウォーキー・ブルワーズでもそのパワーは遺憾無く発揮され、2003年には当時のブルワーズのチーム記録である45本塁打をマーク。オールスターにも選ばれ、MLB屈指の長身強打者として名が知れ渡ることとなる。

シアトルへ

2004年シーズン、シアトル・マリナーズは転換期を迎えていた。2001年の輝かしいシーズン116勝を挙げた当時の主力メンバーが高齢化による衰えを隠せなくなり、チームは低迷。辛うじてシーズン100敗は免れたものの、63勝99敗でアメリカン・リーグ西地区の最下位に沈んだ。

エドガー・マルティネスが引退、さらにブレット・ブーンの衰えが顕著であったことから、右の強打者をオフのターゲットとしていたマリナーズは、セクソンと4年5000万ドルの大型契約で合意。この直後には、2004年に48本塁打を記録し、こちらもセクソンと同じく右の強打者であるエイドリアン・ベルトレの獲得にも成功し、新たなチームの柱の1つとしてセクソンに掛けられた期待は非常に大きいものだった。

セクソンは1年目からその期待に応える。マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド(現Tモバイルパーク)は右打者が苦しみやすい構造の球場であるが、セクソンのパワーの前では全く関係なく、チームトップとなる39本塁打を放つ。特に後半戦は74試合で21本塁打とハイペースで本塁打を量産した。翌2006年も34本塁打を放ち、チームが期待した通りの右の強打者として活躍した。

(球団のCMにもメインで登場)

転落

概ね順調だった2年目までのセクソンのマリナーズでのキャリアだが、3年目から事態が一変する。シーズン序盤から本塁打こそ出るものの、打率が一向に上がらない状態が続いた。

セクソンの不調とは裏腹に、2007年のマリナーズは、ホセ・ギーエンやホセ・ビドロといった新加入組の活躍もあり、序盤から順調に勝ち星を積み上げていった。このチームの好調ぷりもセクソンの不調を余計に悪目立ちさせる格好となる。

後半戦に入ってもセクソンの調子は上がるどころか、むしろ下がってしまう。自慢だったパワーは鳴りを潜め、打率も2割前後を行ったり来たり。特に打率は、セクソン自身の身長やシアトルの市外局番(206)とデッドヒートを繰り広げたため、身長打率や市外局番と揶揄される有様だった。

上記のようなコンディションが続いたことで、好調のチームの足を引っ張る高年俸選手という立ち位置になってしまい、アレックス・ロドリゲス以外にブーイングをすることのない温厚なシアトルのファンからも打席に立つ度にブーイングを浴びるようになってしまう。

2008年に入っても、セクソンが輝きを取り戻すことはなかった。打率は前年から変わらず2割台前半で低迷し、本塁打も春先以降はパッタリと出なくなってしまう。

また、本来のパフォーマンスを発揮できないどころか、フィールド内で問題も起こしてしまう。5月8日のテキサス・レンジャース戦で、相手のケイソン・ギャバートが投じた真ん中高めの速球に突如激昂、マウンドに突進する乱闘騒ぎを起こし、出場停止処分となったのだ。

意図的にぶつけられたならともなく、真ん中高めの特に珍しくもない速球に怒り、乱闘を起こすなどおそらくMLB史上でも稀に見る乱闘例と言えるだろう。実況や解説もこのセクソンの行動に困惑している様子が伺える。如何にこの時のセクソンの状態が普通ではなかったかを象徴するようなシーンとも言えるのではないだろうか。

不振から抜け出せず、上記の不可解な乱闘騒ぎ。出場機会も徐々に失い、たまに試合に出場すればシアトルのファンからブーイング。もはや右の強打者と呼ばれ、チームに頼られたかつての姿はそこにはなかった。

契約を半年間残した7月にマリナーズから解雇され、シアトル時代は幕を閉じた。

その後

マリナーズからの解雇後に、ニューヨーク・ヤンキースへの加入が決まるも、わずか22試合で再び解雇され、その後現役を引退した。
MLB通算306本塁打は名選手の成績そのものであるが、彼を迷選手たらしめたシアトル時代の最後の2年間が悔やまれる。

現在、セクソンは地元オレゴン州の高校で野球部のヘッドコーチを務め、選手の育成に励んでいる。

セクソンのキャリアは終わったが、もしかしたら、いつか彼が育てたパワーヒッターがMLBの舞台に駆け上がってくるのかもしれない。

Photo by Keith Allison

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