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【シアトル的迷選手で行こう】第8回 ミルトン・ブラッドリー

野球の世界最高峰の舞台であるMLB。球界、そして時代を代表するような大スターたちが華々しく活躍し、名選手と呼ばれる裏では、世界最高峰の舞台まで辿り着くだけの才能は持ち合わせているものの、イマイチ残念な部分が抜けきれず、迷選手と呼ばれる存在もいる。そんな選手たち、特にシアトル・マリナーズ に在籍したことのある迷選手たちにスポットライトを当てていく。第8回は「問題児」ミルトン・ブラッドリー。

(第7回はこちら)

プロフィール
ミルトン・オーベル・ブラッドリーJr.(Milton Obelle Bradley Jr.)
1978年4月15日生、カリフォルニア州ハーバーシティ出身。ポジションは外野手。
1996年ドラフト2巡目指名でモントリオール・エクスポズ入団。
MLBでのプレーは2000-2011年の12年間

MLB屈指のトラブルメーカーとして

2000年にエクスポズでMLBデビューし、その後トレードでクリーブランド・インディアンズに移籍すると徐々に頭角を現し始め、2003年には101試合ながらも.321/.421/.501、10HR、fWAR4.1とブレイク。ロサンゼルス・ドジャースに移籍した翌2004年は自己最多の141試合に出場し、.267/.362/.424、19HR、fWAR3.3と活躍し、強打の若手外野手として球界での地位を確固たるものとした。

しかし、ブラッドリーは若手時代から素行面に問題があるとされてきた。2004年のスプリングトレーニングでは、内野フライを打ち上げた際に全力疾走しなかったことからエリック・ウェッジ監督に交代を命じられることもあった(この一件によりドジャースへトレードされることとなる)。ドジャース移籍後もストライクボールの判定に抗議し、退場となった挙句ボールをフィールド内に投げ込んだり、ブラッドリーのエラーに怒ったファンが投げ込んできたボトルをスタンドに投げ返したりと素行面に改善の兆しは見られなかった。

この素行の悪さが遠因となり、才能はありながらも2009年までの10年間で7球団を渡り歩くこととなった(怪我が多いことも理由には挙げられるとは思うが)。2009年にシカゴ・カブスと3年3000万ドルで契約するも、ルー・ピネラ監督とロッカーで口論になったり、チームに対する不快感を公の場でコメントするなど相変わらずの問題行動の数々を繰り広げ、さらには本人の野球のパフォーマンスも低調だったということもあり、移籍1年目にしてシカゴでは完全に厄介者としての扱いを受けることとなった。

マリナーズのクリーンナップ候補として

2009年に85勝を挙げながらもあとわずかのところでプレーオフ出場を逃したマリナーズ。2001年以来の悲願達成に向けてあともう一押しするため、オフには積極的に補強に動いた。トレードでエース級左腕クリフ・リーを獲得すれば、FAでは球界屈指のスピードスターであるショーン・フィギンスを獲得。チームのプレーオフ出場に向けた本気度が、動きの端々からも感じ取れた。

しかし、どうしても補いきれていない部分があった。クリーンナップである。2009年のマリナーズ打線は、40歳目前のケン・グリフィーJr.や36歳のマイク・スウィーニーがクリーンナップを担っているという有様であり、迫力という意味ではイマイチ欠けていた。ただ、打線にインパクトを与えられるような打者を1人でも獲得したいところではあったものの、大型契約を複数抱え込んでいたこともあり、フィギンスの獲得だけで精一杯な状況だった。(そもそもフィギンスではなく、クリーンナップのテコ入れに注力すべきだったのでは?などと突っ込んではいけない)

そこで浮上したのが4年4800万ドルという大型契約を結びながらも、全く結果を出せず、契約を2年残して既に不良債権と化していた先発投手カルロス・シルバで、シカゴで厄介者となっているブラッドリーを獲得するプランである。これなら金銭面で大きな負担を負わずに、クリーンナップ候補を獲得できる。

ただし、これは壮大なギャンブルトレードでもある。双方が不良債権と言われる所以がフィールド内にあるか、外にあるかだけの差であり、いわばフィールド内のWARがマイナスの選手で、フィールド外のWARがマイナスの選手を獲得する究極のトレードである。少なくともシルバを保持し続けるよりかはフィールド内のプラスは稼げそうではあるが、それ以上にブラッドリーの素行面の問題はチーム全体に悪影響を及ぼしかねない。マリナーズファンの中でも期待と不安の両方の感情が入り混じるトレードではあった。

だが、マリナーズになりふり構っている余裕はなかった。気が付けばブラッドリーは来季のクリーンナップ候補としてチームに迎え入れられ、チーム、そしてファンたちは覚悟を決める他なかった。

失敗に終わったギャンブル

2010年開幕戦、マリナーズ打線の4番にはミルトン・ブラッドリーの名前があった。これまで彼が起こしてきたことは全て過去のこと。どうか未来だけを見て、マリナーズをプレーオフへと導いてほしいとファンたちは願った。

だが、そんな期待はすぐに失望へと変わる。

ブラッドリーのバットから当たりが生まれない。開幕7試合で28打数1安打、打率はわずかに.036。まさかの素行面の問題よりも先に本業の野球のパフォーマンスで問題が発生したのだ。

おかしい、こんなはずではなかった。誰もがそう思ったはずだ。近年日本では32打数1安打の選手が度々私のTwitterのTLを席巻しているので、それよりかは幾分マシかもしれないが、それでもブラッドリーはチームのクリーンナップを担うべくシアトルに来たはずである。打線の問題は何ら解決しなかった。

低調な成績と共にブラッドリーの名前はみるみる打順の下の方へ落ちていった。プレーオフを狙うはずのチームの順位も、沈んだ。

ブラッドリーも自身やチームの状態にフラストレーションが溜まっていたのだろう。5月4日のタンパベイ・レイズ戦では審判の判定に納得がいかず、2三振を喫したブラッドリーはイライラを抑えることができなかった。その様子を見たドン・ワカマツ監督はブラッドリーに交代を命じる。すると、これに怒ったブラッドリーは無断で球場を後にしてしまったのである(余談だが、この5日前にはエリック・バーンズが球場から自転車で逃走する事件が起きたばかりである)。

その後、ブラッドリーが個人的な事情により「感情面のストレス」を抱えていることが球団から発表され、一時的にチームを離れることとなった。5月中旬に復帰したが、以降も本業の成績が上向くことはなく、結局7月末に膝の手術でシーズン終了。73試合で.218/.313/.356、2HRという成績はおおよそマリナーズがシーズン前に期待したクリーンナップ候補としての姿からは程遠かった。

ブラッドリーの一件などもあり、2010年のマリナーズは終始おおよそ「チーム」と呼べるような状態ではなく、シーズン101敗という屈辱的な1年を送り、壮大なギャンブルは大失敗に終わった。

おわりに

2011年もブラッドリーが本来の調子を取り戻すことはなく、5月にマリナーズから解雇されてから彼が再びメジャーリーグの舞台に立つことはなかった。

その後、彼はDVなど9件の犯罪で有罪判決を受け、刑務所と32か月間(と保護観察7年)の長期契約を結ぶこととなった。野球選手として類まれな才能を持ちながらも、人として感情のコントロールが上手くできずに、彼の人生そのものが全て狂ってしまった感すらある。

もちろん、ブラッドリーの感情が全て悪い方向に出るわけではなく、例えば2010年シーズン中にグリフィーJr.が現役引退を表明した際には、ブラッドリーは人目をはばからずに涙を流した。良くも悪くも感情の起伏が激しい人なのだと思う。ただ、ブラッドリーの場合、感情が負の方向に向いた時の代償があまりに大きすぎた。

人生はかくも難しい。

Photo by SD Dirk

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