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【シアトル的迷選手で行こう】第2回 ヘクター・ノエシ

野球の世界最高峰の舞台であるMLB。球界、そして時代を代表するような大スターたちが華々しく活躍し、名選手と呼ばれる裏では、世界最高峰の舞台まで辿り着くだけの才能は持ち合わせているものの、イマイチ残念な部分が抜けきれず、迷選手と呼ばれる存在もいる。そんな選手たち、特にシアトル・マリナーズ に在籍したことのある迷選手たちにスポットライトを当てていく。第2回は「Noesi'd」ヘクター・ノエシ。

(第1回はこちら)

プロフィール
ヘクター・ノエシ(Hector Noesi)
1987年1月26日生、ドミニカ共和国・バルベルデ州エスペランザ出身。ポジションは投手。
2004年アマチュアFAでニューヨーク・ヤンキース入団
MLBでのプレーは2011-2015の5年間(現役)

シアトルに至るまで

弱冠17歳で名門ニューヨーク・ヤンキースと契約したノエシ。途中トミー・ジョン手術を受け、シーズンを棒に振ることもあったが、概ね順調にマイナーの各クラスを駆け上がった。

2010年にはAAAまで上がり、フューチャーズ・ゲーム(若手有望株のオールスターゲーム)にも選出。93mph程度の速球に、スライダー、カーブ、チェンジアップを制球良く織り交ぜることから、ヤンキース傘下の若手有望株の中でも上位に評価する声もあった。2011年には24歳にしてメジャーデビューを飾り、メジャーリーガーとしての道を着実に歩みだしていた。

衝撃のシアトルデビュー

2011年オフ、マリナーズは悩んでいた。投手陣は大エースフェリックス・ヘルナンデスを中心に、それなりの布陣だったが、とにかく打線が壊滅的だった。1点ビハインドは空気が重くなり、2点ビハインドは絶望的、3点ビハインドともなれば死刑宣告に等しいほど得点力のない打線だったのである。

打線のテコ入れを目指し、2012年1月13日、マリナーズは大きな決断を下す。前年にルーキーながらオールスターにも選出されるほどの活躍を見せた先発投手マイケル・ピネダと投手の若手有望株1人を放出して、当時球界でも指折りの評価を受けていた強打の捕手有望株ヘスス・モンテロと、あわよくばピネダに代わる存在、最低限でも先発ローテーションを守れる存在になることを期待してノエシを獲得した。

モンテロへの期待はさることながら、ノエシも岩隈久志を差し置いて、いきなり開幕先発ローテーション入りを果たしているあたり、期待の高さが伺える。

ところが雲行きが怪しくなったのが、2012年シーズンの開幕直前。その年、マリナーズはオークランド・アスレチックスと日本で開幕戦を開催することになっていたため、実戦感覚を取り戻すという意味も含めて、阪神タイガースと東京ドームでプレシーズンゲームを行った。ノエシはその試合の先発を任された。
当然マリナーズはMLBの球団、ノエシもまだ若いとはいえ、立派なメジャーリーガーだ。いくら相手がNPBの名門阪神であろうと、さすがにノエシとマリナーズがMLBの意地を見せつけるはずと誰もが予想したが…

東京ドームのマウンドが慣れないのか、それともこれが実力なのか(今思えば実力なのだが)、ノエシは序盤からいきなりピンチを迎える。
2回に1点を失い、なおもランナーを二塁に置いて、打席には当時43歳の金本知憲。24歳のピチピチの若者の意地を見せて欲しかったが、ノエシが投じた144km/hの速球は見事に打ちごろなストライクゾーンど真ん中を目掛けて進む。金本がこれを見逃すはずがない。打球は無情にもライトスタンドに消えていった。

あっという間に3失点。このあまりにスピーディな失点劇を見て、本当に彼はメジャーリーガーなのか?と日本のファンも首を傾げただろう。

最終的にはその3失点だけで5回をまとめたが、打線も奮わず、マリナーズは1-5で阪神に敗れた。本番ではないとはいえ、この敗戦はマリナーズファンに大きなショックを与えたことは想像に難くない。

そして、マリナーズファンはこの時ノエシが見せた、「ど真ん中の甘いボールをスタンドまで運ばれる」ノエシを今後幾度となく見ることとなる。後の「Noesi'd」に近い現象である。

「Noesi'd」

アメリカに戻ってからも、ローテーションでチャンスを与えられ続けたノエシ。だが、MLBは甘くなかった。

挨拶がわりにシーズン初先発を3回7失点で飾ると、以降も炎上登板を頻発。スパイス程度に8回無失点の快投を見せることはあったが、基本的には火だるまとなってしまい、7月中旬までに積み上げた黒星の数は11を数えた。なお、白星はわずかに2つだった。2011年に横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の山本省吾が2勝11敗という類似の成績を1年間で残したが、ノエシはそれをわずか半年でクリアしてしまったのである。

炎上の原因はどう考えても被弾数の多さにあった(2012年のHR/9は1.8)。どれだけ順調に投げていても、なぜか時にボールはストライクゾーンど真ん中に吸い寄せられ、スタンドの遥か彼方まで飛んでいく。
特に簡単に追い込んだ時ほど弱く、0-2以降の被OPS.959はもはやどちらが追い込んでいるのかよくわからない。

あまりに同じような光景を何度も目にすることから、ファンはいつしか「追い込んでから甘いボールを痛打されること」を「Noesi'd」と呼ぶようになる。
ちなみに、この表現は最終的に番記者まで広がっている。(以下はジェームズ・パクストン(現ヤンキース)が追い込んでからの甘いボールを痛打された際のシアトル・タイムズのライアン・ディビッシュ記者のツイート)

この不名誉な「Noesi'd」を返上したかったが、2014年4月3日のオークランド・アスレチックス戦で、延長12回裏からリリーフ登板し、先頭打者のココ・クリスプにいきなり「Noesi'd」を炸裂し、サヨナラ負けしたことから、DFA(Designated for Assignment、MLB40人ロースターから外すための措置)となってしまう。返上するどころか、最後まで「Noesi'd」を貫き通したマリナーズ時代に幕を閉じた。

韓国球界へ〜ノエシの逆襲〜

マリナーズからのDFA後、テキサス・レンジャースやシカゴ・ホワイトソックスでプレーするも、定着はできず、ノエシは2016年から活躍の場を韓国KBO・起亜タイガースに移す。ここからノエシの逆襲が始まる。

投低打高傾向にあるKBOにおいてノエシは1年目から15勝を挙げ、大車輪の活躍を見せると、翌2017年には20勝でリーグ最多勝に輝き、チームの韓国シリーズ制覇に大きく貢献。2018年は成績面は落としたものの、11勝で3年連続の二桁勝利を達成。MLB時代は度々「Noesi'd」を炸裂し、安定した投手とは程遠い存在だったノエシが、韓国の地でチームに、そしてファンに信頼されるような投手に成長したのである。

2018年シーズンで起亜を退団したが、韓国での活躍がMLB球団の興味を集めたらしく、2019年1月にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。ついにMLB復帰の第一歩を掴み取ったのである。

ここからが真のノエシの逆襲のスタートなのかもしれない。

Photo by Cacophony

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