テストに出ない世界史 | ロシア皇帝、退位後の愛読書
読書の秋到来!という事で、今回はロマノフ朝最後の皇帝・ニコライ2世(トップ画像)の日記を元に、彼が廃位、抑留されていた時代に読んでいた本をご紹介します。
長い記事ですが、元皇帝が読んでいた本のタイトルだけサクッと知りたい方は、目次に目を通して頂ければ十分です。
本の大まかな内容や、その本を読んでいた背景も知りたいという方は、目次以降もご覧になってみて下さい。
はじめに - 廃位、抑留までの経緯
1894年11月、父帝の崩御に伴い26歳の若さで即位したニコライ2世。
父のやり方を引き継ぎ、保守的で専制的な政治を行います。
しかし、1905年日露戦争の敗北を受けて革命が勃発(ロシア第一革命)。
言論の自由や国会の解説など、国民の権力拡大を認めさせられます(十月勅書)。
それでもなお、ニコライ2世は保守的な体制に固執し続けました。
1914年に起こった第一次世界大戦で国内に甚大な被害がもたらされると、いよいよ国民と兵士の怒りが爆発。首都ペトログラードで再び革命が起こりました(二月革命)。
ニコライ2世は遂に反対派に屈し、1917年3月15日に退位。
300年間続いたロマノフ朝が終わったのです。
◇
退位後、ニコライ一家は
ツァールスコエセロー
↓
トボリスク
↓
エカテリンブルク
と身柄を移送されながら 革命派による抑留生活を余儀なくされます。
そして、1918年7月、家族まとめて銃殺刑に処され亡くなりました。
今回の記事では、ニコライの日記から彼が軟禁〜非業の死を遂げるまでの間に読んでいた書物をご紹介します。
⚫︎ツァールスコエセロー時代(1917.3.22〜8.13)
皇帝の位を廃されたニコライ。
彼は退位宣言文を仕上げたのち 家族が住まうツァールスコエセローに戻り、抑留生活が始まります。
ここでは、退位前から住んでいたアレクサンドロフスキー宮殿に住むことが出来ていました。
(いわゆる自宅軟禁状態)
宮殿に帰り着いた翌日、ニコライはこう日記に綴っています。
もう少し危機感を持ってはどうかという気がしますが、家族第一だったニコライ。
こんな状況でも、みんなで一緒に過ごせる喜びを感じていたようです。
そんなツァールスコエセローで読んでいた本のラインナップはこちら。
ウスペンスキー『ビザンツ帝国史』
コナン・ドイル『緋色の研究』
大デュマ『モンテ・クリスト伯』
メレジコフスキー(メレシュコフスキー)『キリストと反キリスト』
◇
また、家族への読み聞かせ用としてこんな本を選んでいます。
(ニコライはほぼ毎晩家族に本を読んで聞かせていました)
↓
モーリス・ルブラン『アルセーヌ・ルパン対シャーロック・ホームズ』
◇
この時代に読んでいた本をまとめたリストがこちら↓
歴史が得意だったようで、抑留時代は自ら息子に教えてやるほどだったニコライ。
そんな彼ですから、歴史作家ウスペンスキーの著書を選んだのは納得です。
その一方で、コナン・ドイルや大デュマ、モーリス・ルブランと言った英仏の作家の作品も手に取っています。
ニコライは英語・仏語がいずれも完璧だったそうなので、原書で読んでいたのかもしれませんね。
⚫︎トボリスク時代(1917.8.19〜1918.4.25)
皇帝に代わり国を治めていた臨時政府の首相より、「革命の動乱より一家を保護する」という名目で身柄をトボリスクに移されます。
ここでの生活を、ニコライはこう表現しています。
とは言え、菜園作りや薪割りに精を出し、割と楽しそうに暮らしていました。
そんなトボリスク時代に読んでいた本はこちら。
数が多いので一気に行きます。
ペチェルスキー『森林にて』
(パベル・イワノビッチ・メルニコフPavel Ivanovich Melnikov ペチェルスキーはペンネーム)
ダニレフスキー(ニコライ・ダニレフスキー?)『第九の波』
レスコフ全集
ツルゲーネフ『その前夜』
同『猟人日記』
トルストイ『アンナ・カレーニナ』
ゴーゴリ『結婚』
ヴィクトル・ユーゴー『第九十三年目』(九十三年)
コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』
デュマ
『三銃士』
◇
ロシアの作家の割合が随分と増えました。
しかも宮殿住まいだった頃と比べ、より大衆的なロシア語作品を手に取っています。
このトボリスク時代は まだ外界との接触が可能であり、市民がニコライ一家に本や食べ物を差し入れすることがあったそうです。
この時代に読んでいた大衆向けの書籍も、差し入れ品だったのではないかと推測されます。
⚫︎エカテリンブルク時代 (1918.4.30〜7.17)
革命派の中でもより過激なボリシェヴィキ(左派の一派)が力を持つと、ニコライ一家への締め付けは強まりました。
そして今度はエカテリンブルクのイパチェフ館という邸宅に移されます。
水回りの調子が悪くて入浴も満足に出来ず、ニコライの妻は部屋が埃っぽいとこぼしていたそう。
食事もろくなものが与えられなかった中読んでいたという本はこちら。
福音書
トルストイ『戦争と平和』
◇
これまで読んでいた英仏の作家作品が消えました。
イパチェフ館では外国語を使用することが禁止されていた(※1)ので、それが影響を与えたのかもしれません。
※1
ニコライは、イギリス育ちでロシアに馴染めなかった妻に合わせて 家庭では英語を使っていました
この頃は、持ち物も別室に保管され、厳重に管理(宝飾品は略奪)されていたそうです。
書籍に関してもボリシェヴィキが目を光らせていたのではないでしょうか。
トルストイの『戦争と平和』に関して、ニコライはわざわざ日記で"初めて読んだ" と語っています。
ここからも、自ら積極的に手に取った訳では無いのではと考えています。
《余談》
トルストイは、ニコライが退位する15年前の1902年「専制政治はもう時代遅れです」と手紙を寄こしてきた事があるそうです。
しかしニコライはこの進言を無視したとか。
『戦争と平和』をニコライはどんな気持ちで読んだのでしょうね…
⚫︎ニコライ2世の読書スタイル
全時代を通じて言える事なのですが、複数のジャンルの本を読んでいる事が分かります。
実はニコライ、現代で言うところの「並行読み(同時に複数の本を読むこと)」を好んでいたようで、日記に
「常に聖書だけを読む事は不可能なので、ロシアや外国の純文学も読んでいる」
といった事を書いています。
⚫︎ロシア帝室の蔵書が示す事
ところで、現在ロシア皇帝一族の蔵書1300タイトル以上を保有しているアメリカ議会図書館(Library of Congress)が、そのラインナップについて興味深い見解を発表していました。
要約すると、ロシア帝室が所有していた本は
「学術的な重要性には相当欠けている。
しかしその豪華な装丁は、貧困と非識字という大きな社会的背景の中で、せいぜい一時的で儚い興味の対象である書物に対して、皇帝が豪華で高価な手製本に莫大な資金を費やしたという観点などから、非常に興味深い」
と述べています。
つまり
国民の貧困や識字率の低さ(※2)とは裏腹に、娯楽要素が強く装丁の豪華な本であるというのが特徴だったようです。
※2
ニコライ2世が退位する10年前のデータでは、ロシア帝国内に住むロシア人のロシア語識字率が20%にも満たない状態。
ロシア語以外の外国語に至っては識字率0.1%。
初等以上の教育を受けた人は1%程度でした。[1]
ニコライ2世夫婦が重用した怪僧ラスプーチンは、シベリアの農村出身で読み書きができなかったと言われていますね。
こちらのサイトにロマノフ家の蔵書が詳しく紹介されていますが、全て革製の表紙に金箔で細かい装飾や名入れを施してあり、ページの縁にも金メッキがかけられたゴージャスな造りです。↓
本ひとつとっても、庶民とはかけ離れた暮らしぶりがうかがえますね。
こう言った側面から、ロマノフ朝が消えた理由を考えるのも面白いかもしれません。
⚫︎終わりに
気になる本はありましたか?
ゴージャスな革表紙の本は無理でも、作品によっては 文庫本が図書館や町の本屋さんで簡単に手に入りますよ。
秋の夜長、酒のグラスでも傾けながら読書タイムは如何でしょうか。
私は『モンテ・クリスト伯』に挑戦中です!
◇
ちなみにニコライ2世が好きだったお酒は、
・ウォッカ
・ポートワイン
・プラムブランデー(フルーツブランデーの一種)
だそうですよ。
本日もご覧くださり、ありがとうございました!
参考
トップ画像: picryl
・最後のロシア皇帝ニコライ二世の日記 (保田孝一著/講談社学術文庫/2009.10.13)
・最後のロシア皇帝 (植田樹著/ちくま新書/1998.7.20)
・Wikipedia
《 ロシア帝国 》
《 ロマノフ家の処刑 》
・The Library of Congress
"The Czar's Library": Books from Russian Imperial Palaces at the Library of Congress
Harold M. Leich,
Russian Area Specialist,
European Division
[1]ソ連言語政策史
北海道大学/スラブ・ユーラシア研究センター
・Russia Beyond
《 ロシアのツァーリたちと酒:何をどのくらい飲んでいたか?
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