ティンブクトゥ をよみました

ウィリーとミスター・ボーンズ。

詩人と老いぼれ犬。ひとりと1匹。

誰かと誰か、何かと誰か、何かと何か……物語のなかで展開される1対1の関係性、にともなう奥深さやキテレツさや圧倒的な愛の量などの描写が私はすきなのだが、この関係は、キテレツさ故に愛が際立っていた。こんなペアに出会ったのは初めてです。

ティンブクトゥ Paul Auster

以下ネタバレ有りの短き感想です。

詩人であり、とりまく現実に適応しきれない変人であり、いわゆる駄目人間であり、心はサンタ見習いであり、根っからの旅人であり、雑種犬ミスター・ボーンズを相棒とする男、ウィリー。の言葉がいちいち巧みで何度も読み返したくなる部分がたくさんある。この場合の言葉が巧みというのは、言いくるめられて納得、、とか、痛いほど感動、、ではなくて、彼は表現をしているのだ、と伝わってくるところだ。言葉という手段をつかって、全身全霊、表現している。著者のPaul Austerはウィリーのすがたかたち彼にまつわる物語はおまけとして、前半部分では、ミスター・ボーンズ視点でウィリーの魂そのものをえがいている。

以下ウィリーの言葉の引用。

"だけど忘れちゃいけませんぜ、世界にいるのは俺たちだけじゃないってことを忘れちゃいかん。情報は国境を知らない。海の向こうから流れ込んでくる賜物を考えてみりゃ、高慢の鼻もへし折れて身のほどを思い知らされる。中略 そう、俺たちヤンキーは世界にジッパーとジッポライターのみならずジパティードゥーダとゼッポ・マルクスももたらした、だけど水爆とフラフープも俺たちの責任なんだ。結局、プラマイゼロじゃないか?俺たち最高(トップガン)だぜって思ったとたん、気がつけば負け犬(ボトムドッグ)になってるのさ"

そんなことをいいながら野垂れ死ぬところがよい。

ミスターボーンズが、デジャブをみたあとに主人から泣く泣く離れる決心をして思いきり駆け出していく場面はちくちく胸が痛むくらいに悲しかった。一緒に居られないならなんの意味があるの?その疑問は読み終わっても解決されなかった。解決されなくてよかった。最愛の主人への愛と思い出を糧に、ミスターボーンズが自分の足で幸せな場所をみつけて穏やかに暮らしましたとさ。にはなれなくてよかった。

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