くやしいさ
ひさしぶりに、ひとから依頼をうけて絵を描いた。
できない。できないのはあたりまえだ、普段から描いてないのだから。
そのときできる精一杯をこめるしかできなかった。だからといって、めざすものには到底たどりつかない。く、くやしい。なんのくやしみかはわからないが、これは私だけのものだ。だからもうあきらめない。その都度、勢いがあろうとなかろうと。あきらめやせん。とサンラータンメンを急いでたべたときのように頭のはしがちりちりした。
今回、みにしみてしかたなかったことがある。ふたつ。
ひとつめ。よく見る、ってこと。
絵を描くひとのキャンバスに、何が描かれたか、じゃない
絵を描くひとがキャンバスに、何をみて(現実でも空想でも)それを描いたか、だ。
陽の光、反射の印象、表情のやわらかさかたさ、さびしさ、ほがらかさ、色の踊り方 、細かい細かいどうでもいいゴミ
どこをみていたの?なにをみていたの?それが模写でなくても。空想画でも抽象画でも。普段みているものが全部あらわれる。
それからもうひとつ。
描くなかで、こればっかりは、ぜったい、ゆずれね。ってやつ ちょうだいじ。
技術でも、全体の空気でも、使いたい色でもなんでもよい。なんでもよい。
なんでもよいんだよい…
いろんなことはまあーいいいや。
よかった。まだ絵を描きたかった。
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