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焦りは騙される道に

前回のnoteの通り、私は酷く焦っていた。
独り立ちをあの頃は早くしたかった。
ただ1人で頑張らなければと焦っていた。

携帯の求人とにらめっこを毎日した。

主治医からのGOサインは出ていなくて
働く身体ではなかったけど
とにかく働きたかった。

ある時、短時間のアルバイトを見つけた。
自由出勤と書いてあって
飲食店での接客と書いてあった。

とりあえず面接してみようと
電話をして面接に行った。

その頃、ケースワーカーさんは
訪問や連絡等しない人で
就労支援がある事も
A型作業所やB型作業所がある事も
私は何も知らなかった。
知ったのはもっともっと先の話になる。

もし言った所で、主治医のOKがない限り、
どっちみち働く事は出来なかったかもしれないけど。相談すべきだったと今では思う。

とりあえず面接に行ったそのお店で
事情を説明した。

シングルマザーである事。
短時間でしか働けない事。
何かあれば子供を
迎えに行かなければいけない事。

全部伝えて極々普通に受かった。

何処も受からなかったから正直
ビックリした。けどラッキーだとも思った。

その日から働く事が出来て
制服に着替えてと言われて
制服に着替えた。

そこでちょっと違和感があった。
やたらに短いスカート。
やたらに胸の開いた服。

こうゆう制服の飲食店ってあるのかな....
社会に出ずにシングルマザーで
日々は障害の息子の事ばかりだったから
その頃の社会的な事を全く知らずにいた。
最近の飲食店はこうゆう制服が流行りなのか?と思った。

面接室は別室にあって
働く場所とは別だったから
働く場所に行った時は......って感じだった。

なんかやたらと店内が暗い。
昼間のバーかなんか?
今はそうゆう社会なのか?
ここってどんな店なんだろう...と思った。

夜の蝶としてキャバクラでもクラブでも
高級店で働いた事はあったけど
こんな店は初めてだった。

店内で色んな子がいた。
皆同じ格好をしていた。

1人女の子が呼ばれて男性のお客様の席に着いたように見えたけど暗かったのであまり分からなかった。

ただ笑ってる声だけ聞こえた。

正直なんか嫌な予感がチラついて少し怖くなってきた。

待機室みたいな所で待っていると
来るお客様がみんな男性の声だった。

たまたまか...いやなんかいよいよ怪しいよな...
色々頭を駆け巡りながら、帰りますと言おうとした時、遂に自分の番になった。

そこは飲食店という名の違う店だった。

最初に着いたお客様も次のお客様も
皆、男性だった。
みんな、私を上から下まで舐めるように
見ていて、身体を触って来た。

父を思い出して硬直してしまった。
逃げられない。そう思って動けなくなった。
本当にマネキンのように固まっていたと思う。

帰りますと言うのも怖くて
言い出せなくなって3人目のお客様が来た。

その日、そのお客様で最後だった。
そのお客様だけが
私に何をする事もなく
普通に話してくれた。

どんな人がお金持ちか
見極める目だけは蝶の時に
沢山教わった。

最後のお客様は
明らかにお金持ちだと思った。

真昼間のこんな時間に
スーツでもない普段着だが、
清潔感のある服装。
紳士的な対応。
時計はしていない。
恐らく会社員ではない。
時計はしていない。
経営者の可能性が高い。

経営をしている人で時計を
していない人=限られる職業。
美容関係。だと思った。

ピッタリ当たっていた。

極々普通に会話をして
何をするでもなく
「友人と来ただけ。席は別だけどね。こうゆうお店は初めて?」と聞かれた。
「普通の飲食店だと思い、そのままこんな事になった」と告げたら「グレーなお店ではよくあるキャッチコピーだね。」と言った。

私よりふた周りくらい上だと思うその人は
「このままここで働くの?」と聞かれたので
「いいえ」と答えた所、
「じゃあ、何かあったら連絡をして。良い職場があれば紹介するよ」と言われた。
「でも子供がいる事や子供に障害もあり数時間しか働けない事。何処も受からないし生活保護を受けている。本当は働く事もしては行けないと医師から言われているんです。ただこのままだと焦っていて」とも話した。
「それは大変だね、尚更困った事があったら連絡しておいで。働き口は探せばあるし資格の勉強がしたかったらうちに来てみれば?」とも言ってくれた。そのまま連絡先を交換した。

そのままその人が帰り、私のその日の仕事は終わった。

面接官だった人に「思っていたのと違ったので辞めます」と怖いと思ったけど告げた。
「ただ生活保護を受けているので源泉徴収や確定申告はどうなりますか?」と確認した。
「あ~所得税とかとってるし大丈夫ですよ」と
言われた。名目は飲食店で通りますので
問題ありません。と言われたけど本当かなと
ちょっと怖かった。
そのまま働く訳ではなかったので
面接担当者はどうでもいい感じだった。

その日はお給料を手渡しで貰い、
きちんと給料明細も貰った。

そのまま疲れ果てて
帰宅してゲッソリだった。

焦りすぎてなんて間抜けな場所へ
行ってしまったんだろう。と
反省した。

ケースワーカーになんて言えばいいんだろう。
彼にはなんて話せばいいんだろう。
なんか汚れた気がして息子の迎え前に
何度もシャワーで汚れを落とした。
表面上だけど。私の中身は汚れた気がした。

風俗をしていた友人や
実は次女もキャバクラと思い入店した店が
風俗店だった事もあって
その仕事をする人に対して偏見はなかった。

確かに中にはホスト狂いで借金まみれで
送られて来るような子もいたが
大半は複雑な家庭事情で
家族を養う人が多く、
皆、望んでその仕事をしている訳では無い事。
大家族や家族の借金を抱え、昼間の職業だけでは
食べていけないから両方している人もいたのを
次女から聞いていたからである。

実際、次女の職場の友人と遊んだ事もあるが
皆凄く普通の人でそれぞれ家庭事情があった。
皆、性格もキャバクラに務めている子より
遥かに良かったし、見た目も派手ではなく
どちらかと言うと普段は地味な人だった。
磨けば光ると言うのはこの事だと思う。

次女はどちらかと言うと派手だったが。
次女も勤めていたのはちゃんとした理由があった。若くして結婚した後、子供の親権を取られ、勝手に施設に入れられた子供を早く迎えに行こうとしていただけだった。

だから偏見はなかったが過去の父からの性被害を受けている自分にとっては苦痛な日だった。

普通の人がどう思うかは知らないが
少なからず、昼間の仕事より
大変な仕事なんだとその1度でさえ思った。

とりあえず誰にも相談できなくて
次女に1番に相談した。
「騙されて行くなんて姉妹だねぇ...でもやめときな。」と言われて「その場で断ったけど今後の事、どうしよう。本当に確定申告とかしてくれるのかな?大丈夫かな?」と聞くと
「ん~それは流石に私もわかんない。店によると思うけど。基本、所得税とかお給料から色々引かれてんだよね。大丈夫じゃん?」と言われた。

給与明細をみて、色々引かれていたのをみて
ちょっと安心した。「一応色々引かれてるみたいだから大丈夫かな?」と聞くと「引かれてるなら大丈夫だと思うよ?」と言われた。次女の言葉を信じた。

今思えば次女は生活保護について知らなかったし
私も何も知らない世界に迷い込み、
経験者の意見を聞いて
全てしてくれるなら問題ないのかと
思った。

年に1度、ケースワーカーから
収入についてや遺産等の
手紙が来るのだが、それについては
1度だけ飲食店で働いた事、
収入もきちんと書いて提出した。
特に何も聞かれる事がなかったので
問題はなかった。

今思えば、ケースワーカーという仕事は
同じ地区町村で何百人という人をみる仕事だったようで私にまで目が回らなかったのだと思う。
その証拠に最初は家庭訪問が月に1度あると聞いていたが訪問に来たのは最初の1度だけだった。

数年後、漫画で知ったのだが、役所というのは年に1度部署交代があり、生活保護法に詳しい人が必ずしも担当になる訳ではないと知った。

役所側からしたら1度でも働いてくれればいい訳で、医師からのGOサインが出ていない事を見落として居たのかもしれない。実際は不明だがとりあえずその時のケースワーカーさんは言い方は悪いが、恐らく適当だったんだと思う。

結局焦ってとんでもない失敗をしてしまったので
きちんと主治医と相談して
GOサインがでたら働く事にした。

A君にはこの話をするかとても悩んだが
結局嘘が付けなくて話した。

A君は「なんでそんな馬鹿な事をしたんだ?なんで相談してくれなかったんだ!」と酷く叱られた。

理由もきちんと伝えた。
1度だけ働いた職場で出会った人の話もした。
「1度主治医と相談してから、その人へ連絡をして資格の勉強がしたい」と伝えたが
「絶対にダメだ」と言われた。

心の中ではじゃあいつまでも煮え切らない態度取らないでよ...と思っていた。
パートでも何でもとにかく働きたかったのだ。

本当に何故あの頃あんなに結婚に焦って居たのか
働く事に焦っていたのか今になっては不思議だ。

それから数ヶ月が過ぎて
私は結局、A君の言葉を無視して
最後に着いたお客様に「働く事は医師から許されていないから出来ないですが、せめて資格の勉強を教えて頂くことは出来ますか?」と
連絡をとった。

それも本当に今思えば馬鹿な自分であった。
焦って自分で勝手に行動してしまう。
今思えば後に診断を受けるADHDの
衝動性もあったのかもしれない。

私は心底馬鹿な女だった。
これを読んだら国民はこんな奴に税金を
払っているのかと思われても仕方がないと思う。
ギャンブルなどで使う人よりマシかも知れないけど無知すぎて焦りすぎたのは事実だ。

ただ、シングルマザーで自分にも病気があって息子にも障害があってこの先の人生に酷く焦りを感じていたのだけは確かだった。

早く、ただ早く、働きたかった。
こんなだから生活保護の人はと言われても
仕方がないかもしれない。

若かくて世間知らずで無知な馬鹿だった私を
どうか許して頂きたい。

その日、焦りは騙される事になると
学んだ。

それと関係ないが、このnoteを書き始めてから
解離が頻繁に起きるようになった。
自分の過去と向き合うというのは
酷く大変であると知った。

ゆっくりかもしれないが
それでも医者に止められない限り、
少しずつ前に進みたい。

仕事や生活に支障がでてはいない事だけが
救いではあるが...
ゆっくり書いていきたいと思います。
応援よろしくお願いします。










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