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深海から浮いてきた日

体が自分のものではないようにジワジワと海の底に引きずりこまれていく。ドッポンと水飛沫を上げて沈むのではなく、得体のしれないモノたちに「ほらあほらあ、おいで」と体を掴まれ、落ちていく。そんな感覚。

「ああ、落ちている」と感じたときには、もう遅い。自力ではもうもどれない、光が届かない海の底にいる。地上に出ようと、手を伸ばし、足をバタつかせるが、もがけばもがくほど沈んでいく。呼吸は苦しくなる。

海の底にいるときは、何もしないほうがいい。波に任せて浮いてくる“そのとき”を、じーっと一人で待つしかない。

最近は、体調がいいから油断をしていた。

3月いっぱいで仕事もやめ、この先についてなにも決まっていない宙ぶらりんの状態でも、目標を決めてコツコツ動けていた。寝つきの悪い夜があっても、悪夢はみないし、次の日もしっかりと働けていた。「ちょっと太ってきたから、運動しないと」と思うほど、しっかりと食事も取れていた。

だから、びっくりしたんだと思う。動けなくなってしまったときに。

その日は、少し心に引っかかることがあった。ここに記すに足らない、ほんとうに些細なこと。でも、時間が経つにつれて、その出来事に傷ついている自分がいることに気づく。「ああ、こんな些細なことで私は傷つくのか」といたたまれなくなる。

買い物に行ったり、文章を書いたりすることで、気を紛らわそうとした。でも、その傷口が風穴になったのか、いろんな記憶が私を苛むでいった。

やりたいことを伝えたときの両親の表情、恋人からの拒絶の言葉、「ごめんなさい」と何度も思った上司からのフィードバック。寂しかった、しんどかった、つらかった、そのときの「小さな私」が、「今の私」を乗っ取っていく。

そうすると、もう私の体は私のものではないほど重い。暗い暗い海の底にいるような感覚になる。残りわずかな空気を吸えるよう、呼吸を安定させること精一杯になるしかない。

仕事の断りを入れ、ベッドに横になる。しとしとと降る雨は、大きな凶器となって、さらに私を海の底へ押していく。「足掻いてはいけない、きっと浮いてくるから」と信じて、目をぎゅっと瞑る。

浅い眠りから覚め、水を飲み、また浅い眠りにつく。それを何回か繰り返したとき、雨が止んでいた。長い長い旅から帰ってきたように体は怠かったが、寝続けて1日半しか経ってなかった。

「今日は大丈夫かもしれない」。空っぽの胃にトーストを押し込み、シャワーを浴びる。少し仕事をしてみて「やっぱり大丈夫だったじゃないか」と自分に言い聞かせる。

自転車に乗って、大好きなカフェにきてみる。そこにはまるで母のように、話を聞いてくれる店主さんがいる。ナポリタンを食べながら、心が温かくなって、ちょっとだけ泣いてしまった。




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