UKロック 名コンビ列伝 後編


いよいよラストです。今回も3組紹介します。

どこから読んでも問題ないですが、出来れば前編と中編に目を通して欲しいですなあ!


前編https://note.com/1201shout/n/n112f0c1cf64e


中編https://note.com/1201shout/n/n29475b4e03e1


7:ストーン・ローゼズ: イアン・ブラウン×ジョン・スクワイア


前回のスミスと同じくマンチェスターが発のギターバンド。スミスとはちょうど入れ替わりのような形で登場しています。ちなみにジョン・スクワイアはジョニー・マーより歳上です。

なんと言っても大きな特徴はジョン・スクワイアによるキラキラしたギターサウンド。最強とも言えるレニとマニのリズム隊。唯一無二(🤔)のイアン・ブラウンのボーカル。ギターロックなんだけど、リズム隊の演奏がダンサブルで、踊れる音楽なところもローゼズの大きな魅力。


イアン・ブラウンとジョン・スクワイアですが、今までのコンビの中では最も早い時期から付き合いのあった二人です。本格的に交流が始まったのは13歳からみたいですが、どうやら4歳くらいの時に既に会っていたらしい。パンク直撃世代の二人はパンクに夢中になりつつ、ビーチボーイズや初期バーズのようなキラキラしたギターロックも好きだったようで、後のローゼズの音楽性の萌芽が伺えますね。

ローゼズはファーストアルバム1枚で、UKロックの歴史を塗り替えてしまった。その後のUKギターサウンドに大きく影響を与え、ブラーのグレアム・コクソン(このあと出てきます)は「当時のギター弾きにはストーン・ローゼズが全てだった」と答えています。

ファーストアルバムのボーナストラックに入っているこの曲を初めて聴いたときは衝撃でした(ファーストアルバムリリース後に発売されたシングル)


サンプリングによるドラムループ、そこに重なるパーカッションとベース、ジョン・スクワイアのワウを使用したギターワーク、何かボソボソ言ってるイアン・ブラウンのボーカル‥ロックであり、どこかヒップホップ的であり‥すごい!の一言である。当然セカンドアルバムもこの路線だと思っていた。ファーストアルバムを聴いて、直ぐにセカンドを買いに走ったことを覚えている。ちなみにリアルタイムでは、ファーストからセカンドまで5年の空きがあり、この間にブリットポップムーブメントが起こっており、そのムーブメントに大きな影響を与えたローゼズは既に神格化されていたんだとか‥。そしてセカンドを聴いた僕はこう思った(おそらく当時のUKのリスナーも同じことを思ったに違いない)


レッド・ツェッペリンじゃん。


ジョン・スクワイアがハードロック、ブルースロックにハマった結果こうなったらしい。当時の評価は散々だったらしい。僕も初めて聴いたときはブックオフに売り飛ばそうかと思った。でも今聴くと悪くないよね。セカンドを出した数年後にジョン・スクワイアの脱退もあり、バンドは一度解散。その後再結成して新曲も作り、サードアルバムの機運が高まるも‥再び活動停止。勘弁してくれい!


8.ブラー:デーモン・アルバーン×グレアム・コクソン


1991年デビュー、ザ・ロンドンなバンド。初期のシューゲイザー&マッドチェスター的なサウンドからブリットポップの代名詞へ、オアシスとの抗争、崩壊危機からのオルタナサウンドへの移行でブリットポップに自ら幕を引き、その後はグレアムの脱退、復帰、バンド復活、再び休止と忙しいバンド。ブラーについては過去に一度記事を書いていて、今後も触れる予定があるので簡潔に書きます。

ちなみに二人の出会いは学校です。お互い(特にデーモンは)それなりに学内では有名人だったらしい。

これまでのコンビと違うのは、曲作りは殆どデーモンが行っているということ。作曲クレジットはメンバーの連名となっていますが、実際はデーモンが曲の殆どを書き、4人でアレンジするという手法のようです(グレアムが作詞・作曲したナンバーも数曲あります)

グレアムはブリットポップ時代、「あのバンドのギタリストは曲は書かないけど良いギターを弾くよね」と評されていたのがとても嫌だったそうです。

ただ僕はこのコンビ大好きなんですよね。デーモンは様々な音楽性を吸収して多様な曲を書き、グレアムはどんな曲にも素晴らしいギターワークで応える。正に名コンビ。BeetlebumやSong2などのオルタナ期のサウンドは言わずもがなだけど、ブリットポップ時代のギターも良いんですよね。


この曲、めちゃくちゃポップな曲調なのにグレアムがこれでもかって歪んだギターソロを弾くのが良いんですよね。グレアムはブリットポップはギタリストにとっては最悪のムーブメントだったと後年語っているため、かなりムカついていたようで、そんなムカつきがまんま音に出たかのようなギター。ただ不思議とこの時期のデーモンのポップな曲調とマッチしており、やはり名コンビになる運命にあるのだな‥と思いましたね。


9.リバティーンズ:ピート・ドハーティ&カール・バラー


2001年にストロークスが登場して、死にかけていたロックが甦り、一気にロックンロールのリバイバルブームが起こります。そんな中、ストロークスの翌年にイギリスから出てきたのがリバティーンズです。

今までのバンドとの大きな違いが、僕はこのバンドの全盛期をリアルタイムで体感しているということです。なので思い出話も交えつつの紹介になります。

二人の出会いはカールとピートの姉が知り合いだったことからだそうです。大学生だった二人はお互いの才能に惹かれ合い、自分たちはモリッシーとジョニー・マーのようになれると確信し、大学を辞めてボロアパートで共同生活を始め、バンドを組みます。初期にはレイザーライトのメンバーも在籍していました。

しばらくは全くどこにも引っ掛からず、失意の日々を送っていた面々ですが、ストロークスがイギリスのレコード会社(ラフレコード)からヒットしたことで、マネージャーが同じスタイルのリバティーンズをラフレコードに売り込み、遂にデビューが決まります。このタイミングで凄腕で人柄も良い黒人ドラマーのゲイリー・パウエルと、かつて二人と一緒に音楽活動をしていた控えめで人柄も良いベーシストのジョン・ハッサールが加入してリバティーンズのメンバーが揃います。

リズム隊の二人もかなり個性豊かなのですが(ジョージ・ハリスン的な立ち位置のジョン、凄腕ドラムとナイスな人柄でフロントに負けない人気を誇るゲイリー)、とにかくフロントの二人がめちゃくちゃにキャラが濃いため、彼ら二人は初めからサブに周るように言われていたらしいです‥😭

そして元スウェードのバーナード・バトラーのプロデュースのシングルをリリースし、遂にデビューします。この時期にエリザベス2世女王の即位50周年の記念式典がバッキンガム宮殿で行われているのですが、なんと宮殿の向かい側の路上でライブを決行。完全にイカれてますね。メディアも一気に彼らを新時代の反体制のヒーローとして扱い始めます。

そして遂にファーストアルバムを発売します。プロデュースは元クラッシュのミック・ジョーンズ。ストロークスへのUKからの回答とも言える傑作ファーストアルバムです。邦題は「リバティーンズ宣言」


全曲ピートとカールの手によるナンバー。このピートとカールの二人のコンビのキャラと強い絆がバッチリ音に出た名盤です。荒いギターと二人のボーカルの唯一無二さ。捨て曲一切なし。正に新時代のヒーローに相応しい。UKチャートで35位と思ったよりもヒットしなかったものの、若者を中心に熱狂的に支持された‥と聞いております。ピート曰く「オアシスが歌っている人たちより、さらに恵まれない状況の人たちのことを歌っている」とのこと。

僕はこのアルバムが出たとき15歳で、このアルバムをリアルタイムで聴きました。よくわからないけど、とてつもないエネルギーを感じて「とんでもないことになるぞ!!」と思っておりました。まだビートルズもストーンズもクラッシュもちゃんと聴いていなくて、僕にとってはピートとカールこそが世界最強のコンビだった。日本の音楽雑誌にもバンド(というかピートの)悪行が書いてあったりして、そういうのを読んで「ロックだ!」とか言ってました。

2003年には来日もしました。実はライブを観に行っています。4月だったかな‥まだ新宿にあったLIQUIDROOMで。あんまり覚えてないんですよね‥何かずっとソワソワしていて、4人を間違いなく生で観たはずなのに。それくらい興奮して舞い上がっていたんでしょうな‥。ライブの後にジョナサン行ったなとか、帰りの電車のこととかはすごい覚えてるのに(笑)チケットもなくしちゃって、もしかして幻だったのかな‥?とか思ってます。

ジャパンツアーのラストで、ピートがキレちゃってステージ上で暴れたと聞いたけど、当時の僕にはそれすらカッコよく思えた。ただその年にフジロックかサマソニでまた日本に来たんだけど、そのときピートがいなくて、このあたりから「あれあれ?」と思い始めましたね。

どうもこの時期からピートのドラッグ癖が酷くなり、変な取り巻きと交流するようになったらしく、カールがピートと距離を置き始めたようで‥(日本にもそういう情報が遅れて入ってきてました)、終いにはピートがカールの部屋に侵入して機材を盗んだ‥などという信じ難いニュースまで入ってくる。

‥‥終わったと思いましたね。世界最強の強い絆で結ばれていたと思っていたピートとカールのコンビがこんなにあっさりと終わるとは‥僕も2003年の終わりや2004年に入ったあたりからビートルズなどのオールドロックにのめり込んだこともあり、リバティーンズ熱が一気に冷めてしまった。

そんな中、2004年の夏か秋だったかな‥リバティーンズがセカンドアルバムを出すというニュースを耳にする。「えっ、レコーディングとか出来たの?!」と素直に思ってしまった。そしてまたリバティーンズへの思いを強くした僕はセカンドアルバムも買った。邦題「リバティーンズ宣言」


なんだこれ、全然良くないじゃん‥と思った。なんかヘロヘロだし、曲数が多くてとっ散らかっているし、散漫な曲もあるし、ピートとカールが一緒に作った曲が少ないし‥僕はこのアルバムを聴いてリバティーンズは終わったんだと確信した。このアルバムは全英1位だった。リバティーンズは国民的バンドへの道を登ろうとしていたのに‥結局この年の終わりにバンドは崩壊した。

良くないじゃん‥そんなことを言いながらこのアルバムをずっと聴いていた。頭では良くないじゃん‥と思いつつ、もはや本能で聴いていた。もしかしたらファーストよりセカンドの方が聴いていたかもしれない。明らかにピートとカールの関係を(それも二人の掛け合いで)歌っているCan't Stand Me Nowなんて聴きながら泣きそうになるくらいの気持ちになった。なんかこのとっ散らかった感じこそリバティーンズなんじゃないかと思い始めた。今ではこのセカンドアルバムも大好きである。

リバティーンズが崩壊したあと、メンバーのソロ活動も追いかけていた。2010年には再結成してライブもやった。2015年にはサードアルバムも出た。10代の頃と同じ熱では聴けていないかもしれないけど、今でもリバティーンズが大好きだぜ!ピートとカールこそ、UKロック最強の名コンビだと今でも思っている!リバティーンズの4枚目のアルバム、いつか出ると信じています‥あとピートとカールのツーショットをまたいつか観たい‥



最後は完全に思い出話になりましたが、以上でUKロック名コンビ列伝を終わります。


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